IndexNovel恋愛相談

「安永的にはどう? 俺みたいなのは恋愛対象内に入る?」
「は?」
 予想外の言葉に素っ頓狂な声が口から飛び出した。
 どうしていきなりそんなことを聞かれたのか、その意図はまあなんとなく、わかるけど。
 そもそもこんな状況に陥った理由の大本は必然で、後は偶然だ。必然なのは久々に同期会が開催されたことで、偶然はその他のすべて。
 いきなり馬鹿なことを聞いてきたこの男――吉田秀久は同期会に参加するくらいだから当然同期で、入社当時男女混合五十音順のグループ分けで同じグループだった程度には知り合いだ。
 社会人になって早五年、部署も業務内容もかけ離れていればそれ以上の親しさになることはなかったけど。
 吉田の交友関係は、噂に聞く限り幅広い。部署も業務内容も違う私の耳に頻繁に情報が入ってきていたほどだから間違いない。そこそこ甘いマスクでそれなりに仕事ができて、来るもの拒まず去るものを追わない軽い男。
 端っから興味のない私なんかには見向きもしなかったけど、社内社外問わずあちこちであれこれしていたらしい。修羅場になることなくどの噂もそのうち消えていったから、よっぽどうまく立ち回ったか、あるいはどちらも割り切った付き合いだったんだろう。
 現に吉田と噂になった子の幾人かは、別の相手を見つけてもう社にはいないくらいだ。遊び相手にはちょうどいいけど、将来が見えない相手だったんだろうな。
 実際今日たまたま席が隣り合った私に、酒の勢いでか吉田はそんなようなことを言っていた。
 若い頃は遊んでなんぼだと思ってたとか、後腐れない付き合いをしてきたとか、そういったことをいろいろ。
 近頃華々しい噂を耳にしないとは思ってたけど、本人の中では何やら葛藤があるものらしい。普段は輪の中心で騒いでいるタイプなのに、今日は静かに飲んでいるなと思ったら隣の私にぶっちゃけ話を始めた。
 普段は彼と同じく騒いでいるメンバーは不穏な気配を感じたのか時折視線をこっちに向けるけど、寄っては来ない。
 人の恋バナを聞くのが嫌いとは言わないし?
 吉田のあれこれを聞くのは結構楽しかったから適当に相槌を打ってたけど、そろそろ面倒くさくなりそうだから誰かに引き取って欲しくなった。
「なあー。安永、今俺大事なこと聞いたんだけど聞いてた?」
「はいはい」
「うわ聞いてねー!」
 実は吉田は酒癖がよろしくないんじゃないだろうか。
「いや聞いてるから、ちょっと待って」
 どういう話の流れだったか頭を整理しながら目の前の空いた皿を片付ける。横から疑いの眼差しが注がれている気がしたけど、気にするものか。
 以前はかなり遊び歩いていた吉田は、年齢が長じ、周りが身を固めていくのを見て自分も結婚願望をもったらしい。
「人並みの幸せってヤツ? 三十代が近付いてきたと思うと、なんとなくさ」
 同い年なんだから年齢のことは言わないで欲しい。そりゃ、年に一つ年をとるんだから近付いちゃいるけど、まだまだ遠いと私は言いたかった。
 それはそれとして、この男は方針を転換することに決めたのだろう。
「――結婚願望を持つと同時に、毛色の変わったのに手を出そうと思ったわけ?」
 色んなタイプと付き合い慣れているであろう吉田が私なんぞに問いかけた理由は何らかのリサーチのためか。
 結婚なんていう重大な選択に今まで付き合ったことのないタイプを選ぼうと思ったのは、軽い男なりの無駄な冒険心?
 吉田は私の質問に目を見開くと、違う違うと手を振った。
「そうじゃなくって、なんつーの? 今まで見えなかったところが見えてきた感じなんだわ」
「はあ」
「年食ったってことかもしれないけど。外見もまあ気になるにはなるんだけど、それより中身が大事じゃねって思って」
「誰か具体的に狙っている人がいるわけ?」
「あー。まあ、そんな感じ」
「で、私に似たタイプだからリサーチ?」
 問いかけると吉田は何やら苦渋に満ちた顔で言葉に詰まった。ややして、一つうなずく。
「なるほどねぇ」
 吉田が狙うのが私に似たタイプなら、確かに聞く限り彼の恋愛遍歴には存在していないだろう。わざわざリサーチするなんて、案外マメだ。
 もてるらしいから入れ食いのイメージでとっかえひっかえしていたように思えたけど、意外に裏では努力しているタイプだったのか。
「リサーチはいいとして、人選間違ってるんじゃない?」
「や、間違ってない」
 吉田への評価を改めながら控えめに告げると、強い調子で返答が返ってくる。
「確実に間違えてる」
 その強さに反発して、強い声が出た。
「結婚願望ない私にリサーチしても、対象内に入りようがない、でしょ?」
 その強さを誤魔化すように軽い口調で続けると、吉田は驚いたように目を丸くした。
「え、なんで。どうして?」
 手にしたグラスをテーブルに乱暴に置くと、吉田はがっつくような勢いで私に迫る。
「理由を聞かれても」
 言いたくない私は苦笑しつつグラスを傾ける。澄んだ氷の音と一緒に冷えた梅酒がのどを通った。
「安永なら、それなりに相手がいそうに思えるけど」
 吉田は追及の手を緩めるつもりはないようで、探るように呟いた。
「本気で言ってる?」
「わりと」
 酔っ払いが真顔でうなずいても信用が置けない。
「――とっつきにくそうに見えるけど案外面倒見がいいだろ」
「あらありがと」
「うわ、信じてねえ」
 呻くように吉田は漏らした。
「あー、それに、着飾ったら化けるタイプだと俺は見た」
「それはなに、もう少ししゃれっ気出せよこの地味女って思ってる?」
「曲解すんなよ!」
 あーもう、と吉田は再び呻いた。
「お褒めに預かり光栄だけど、この性格じゃあ無理だと悟ったのよね」
 話がずれていると気付いていないのか納得する気配のない吉田にさらりと告げると彼は「もったいねーもったいねー」とぶつぶつ呟く。
「はいはい、ありがと」
「真剣に聞けよ」
 ぼやいて、日本酒だか焼酎だかを煽った吉田が唇を尖らせる。私を見る目が、据わっていた。
 完全に酔っ払いの目だ。
「いいか、安永。お前はまだ若い」
「同い年のあんたはついさっき三十が近いとか言ってたでしょうが」
 まだまだ遠いと思ってるけど、本音は隠して言い切ると吉田はいいやと首を振る。
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題だっての」
「今の平均寿命がどれくらいか知らないけど、まだまだ先は長いだろ」
「平均寿命って……あんた……」
 そんなところと比較して若いと言われてもうれしくなんてない。私の呆れた声に吉田はきょとんとしている。
 軽い男は頭まで軽かったのか、酔いの上での戯言なのか悩むところだ。さんざん遊び歩いていても仕事ができると言われているくらいだから、おそらくは後者なのだろうけど。
「普通そこと比較する?」
「や、だってそうだろ」
 指摘しても吉田はちっともわかった節がなく、変に真顔になってずいっとこっちに顔を近づける。
「平均寿命って七十代じゃないよな。たぶん八十いくつかだったと思う」
 向こうが近付いた分だけ引く私に気付かず、吉田は真面目な声で続けた。そんな事を真面目に言うくらいだから、この男はやっぱり酔っている。
「それがどうしたの」
 酔っ払いをまともに相手しても疲れるだけだ。私は気のない口ぶりで相槌を打ってやる。
「つまり、この先長い人生を一人で生きるつもりなのか?」
「そういうことになるわね」
 吉田はあくまで真顔で痛いところを突いてくる。この酔っ払いめとののしりたくなった。
 そんなことをしれっと言ってのけるなんて失礼にもほどがある。
「それは寂しくないか?」
 続く言葉が心配そうに響かなければ、適当に切り上げて、席を変えようかと思ってた。
 だけど、吉田は心底心配そうに言った。からかうような響きもなく、軽い男らしからぬ重さで。
「そりゃ、まあ……ね」
 うなずく私はさぞ苦々しい顔をしているだろう。
「だけど、あんたには関係ないでしょ。そんなこと私だってわかってるわよ」
 じゃあなんでだと吉田は鋭く切り込んでくる。あんたには関係ないと、そんな話じゃなかったでしょうを交互に繰り返しても、酔っ払いは少しも引かなかった。
 かといって、席を変えようにも隙が見えないからタチが悪い。
「あーもう」
 私はうんざりと吐きだし、梅酒を一気にあおった。たまたま近くにやってきた店員に次の一杯を頼みつつ、腹を決めた。



 そもそも、私だって最初から結婚願望がなかったわけじゃない。
 その言葉に強い夢や希望を持っていたわけでもないけれど、おぼろげに描いた将来の中に愛する夫や子供の姿を夢見たことくらいある。
「結婚ってのは一人でできるもんじゃないでしょうが」
 そう言うと、吉田は一つうなずいた。
「そりゃそうだ」
「で、結婚相手ってのはそう簡単に見つかるものじゃないでしょう? 人によるんだろうけど」
「それもそう、だな」
 でしょうと私はもったいぶってうなずいてみせる。
「離婚だの再婚だのが普通の世の中になってきたけど、私はそういう煩わしいこと、したくないのよね」
「それが嫌で結婚を否定するなら、本末転倒な気がするけど」
 酔っ払いのくせに妙に正論を返す吉田を私は軽く睨む。
「そーじゃないわよ」
 腹を決めたとはいえ、自らの心中を吐露するのは勇気がいる。ええいと拳を握って、私は吉田から顔をそらした。
「これでも私、大学の頃はそこそこモテたのよね。ま、周りに比べれば微々たるものだけど」
「そこでなにか、あったのか?」
「あったと言えばあったわ。その頃は私、かなり努力してたから。見た目にも気を配ったし? それに――大きな猫を被ってた」
「猫?」
「そう」
 あの頃のことは、今思い出すと苦い。
 なんとなく彼氏が欲しくて、男が好きなキャラを作っていた。柔らかくてかわいらしい女の子って姿を。
「彼氏も何人かいたけど、あんまり長続きしなかったのよねえ。あんたも経験あるんじゃない? 彼女の隠された本性を知ることが」
 ちらりと吉田を見ると思い当たることがあるような顔をしていた。
「かわい子ぶってるくせに中身がこれじゃ、大抵の男は引くのよねー。世の中の男が全部そうだとは思わないけど、大抵の男は控えめで可愛らしい女が好きなのよ」
 新しくやってきたグラスを軽く傾ける間も吉田は何の相槌も打たなかった。
「卒業間近にそのことで手痛い指摘を受けて以来、猫被るのはやめたけど。そもそも、給料もらって働くのに、猫被ってると何にも出来ない気がしたしちょうどよかったと言えばよかったんだけど。以来さーっぱり、男の気配が遠ざかったのよねえ」
 ホントに嫌になる。
 気が強い女にわざわざ言い寄る男は私の周りにはいなかったし、とはいえこっちから積極的になれるほどの相手は就職以来あまりいなかった。
 皆無ではないけど、数少ない機会も相手に拒否されれば年齢が上がるにつれ弱気になるってものだ。
「猫被ったら相手はいるかもしれないけど、長時間一緒に過ごせばボロも出るでしょ。手痛く拒否される危険を冒してまで積極的になろうとは思わないわ。かといって、私でいいなんていう相手が今後見つかるとも思えないしねえ」
「――てことは、結婚願望がないってわけじゃないんじゃないか?」
「酔っ払いのくせに鋭いこと言うわね」
 横目で睨み据えた吉田はにやりと笑う。
「じゃあ、安永的にはあれだ。安永がいいという相手なら対象内に入るのか?」
「なんでそこに話が戻るのか意味不明だけど」
「そもそもそういう話をしてたよな?」
 酔っ払いの思考回路は意味不明だ。なあどうなんだと強い口調で聞いてくるので、私は仕方なく考える。
「私でもいいって言うなら、少しは考えるかもね。だけどその前に正気か疑うかも」
「なんで」
「というか、騙されてないか疑うかな」
 大学時代と社会人になってから――つまりは猫被り時とそれ以後、私の周りの環境はかなり劇的に変化した。
 今更私に寄ってくる男なんて、裏で何か企んでいる奴しかいないんじゃないだろうか。身持ちも固いし、遊びまわってもいない。一人で過ごす予定の将来を見据えて、堅実に貯金をしている。
 妙な輩に騙されるほど鈍くはないつもりだけど、結婚詐欺師めいた輩に狙われてもおかしくない程度に財産はあるつもりだ。
 その事実を知っている人間なんていないから、余計な心配だろうけど。
「安永って実は人間不信なのか?」
「失礼な。現実をちゃんと見ているだけよ」
 ああそうと吉田はため息を漏らした。酔っ払いにそんな風にされるとなんとなくむかつくけど、表には出さずに顔をそむける。
「まあいい。じゃあ、俺が安永が好きだって言ったら、正気を疑った上で騙されてないか疑って、その上でどう決断を下す?」
「は?」
 私の様子なんて気に留めた様子もなく、空気を読めない酔っ払いは自分の聞きたいことを聞いてくる。
「だから、正気を疑った上で騙されてないか疑って」
「いや、聞いてるけど」
 つい視線を戻して吉田を見る。そんな馬鹿なこと聞くなんて、それこそ正気を疑うわ。
「酔っ払いって傍若無人よね……」
「そんなに酔ってるつもりはないんだけどな」
 白々しくよく言うもんだわ。
「飲んでるのは間違いないでしょ」
「そりゃそーだが。で、どうなんだ」
「まだ聞くか」
 おうとうなずく吉田には迷いがない。
「そーねー」
 こんなこと、真面目に考えるのも馬鹿らしい。
 一応私は軽く悩む素振りを吉田に見せて、それから口を開く。
「素面の時に、切々と愛を語ってくれたら考えないでもないわね。ま、それも一度や二度じゃ信用できそうにないけど」
「そんなに俺、信用ないか?」
「次々相手を変えてた男を一度で信用できると思う?」
 それなりに真摯に答えてやると、吉田はうなった。
「別にむやみにとっかえひっかえしてたってわけじゃないんだけどなー」
「傍から見たらそう見えたけど」
 もう一度吉田は低くうなる。
「安永は一体俺をどういう目で見てるんだ」
「どういうもこういうも。特に何の興味もなく見てるけど」
 部署も違うそこまで親しくも同期なんて、目にする機会はこんな席くらいだ。吉田は有名人だったから噂で話を聞くことは多かったけど。
 それはそれで痛ぇと吉田は呟いた。
「俺はそれなりに真面目なんだぞ。これでも二股をかけたことはないし、不倫をしたこともない」
「自慢げに言うほどすごいことでもないわよねそれ」
「二股かけられたことはあるけどな……」
「あー、それはありそうね」
 思わずポロリと口から言葉が飛び出した。
「ああ、ごめんつい。吉田と別れた後結婚退職していた子も何人かいたようだし?」
 言い訳のように続けても、全くフォローになっていない。吉田はすっと目を細めたけど、文句は言わない。
 深くはーっと長く息を吐いた後、彼は顔を上げた。
「俺に興味がない割によく知ってるな」
「派手な噂があるからね、あんた」
「らしいな。あー……多少尾ひれがついていることをさっぴいてもらったら、真面目に口説けばうまくいくと思う?」
 この期に及んで私のアドバイスを求めるなんて、相当本気らしい。
 失言のお詫びも兼ねて、今度はもう少し真剣に考えた。
「噂で聞く限り、来るもの拒まず去るものを追わない男なのよね、あんたって」
「ほんっきで信用ないな俺」
「噂なんて無責任なものだからどれだけ正しいかわかったもんじゃないけど。でも、そんな相手が真面目に何度も必死に口説いてきたら――気持ちは揺れるかもね」
 からかわれてないか疑う気持ちの方が大きいかもしれないという本音はとりあえず伏せて、耳触りのいいことだけを言っておく。
「そうか」
 吉田は一つうなずくと満面の笑みを見せた。
「ありがとう安永。非常に参考になった」
 晴れ晴れとした笑顔で私の手をつかむと吉田はそれをぶんぶんと上下に振る。
 酔っ払いの戯言であることをさっぴいても、私の言葉でもたらされたその笑みは希望を見出したかのように輝いていて、本当の本当に、かなり本気らしいなと思わずにはいられない。
「うまくいくと、いいわね」
 吉田の手から逃れながら励ましの言葉をかけると、彼はああとうなずいた。
「全力で言い寄ろうかと思う」
 神聖な誓いを述べるように呟く吉田に思わず「ストーカーにならないようにね」と忠告したくなったけど、そもそも酔っ払いの言うことだからとかろうじてこらえる。



 忠告しておけばよかったと心底後悔するのは、その翌週から。
「素面で切々と愛を語ればいいんだよな」
 なんてにこにこしながら終業後に吉田が何をトチ狂ったのか連日私の元にやってくるようになってからだった。

2009.06.17 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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