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番外編 ある夏の日に

 我ながら面倒な性分だと思うが、夏休みになったからといって寝過ごすわけにはいかない。
 平日に限って言えば、夏休みの方が早起きなのは小学校時代から続く習慣だった。むくりと起き出し、顔を洗って居間に顔を出すとあいさつのあとでかーさんが言ってきたのは「ラジオ体操には行かないの?」だった。
 さすがにこの年になってあの中に混じるのは恥ずかしいものがあるととっくの昔に知ってるくせに。
「なんでだよ」
 中一の時はしばらく混じってみたけどな。居心地が悪かったぜあれは。中学になってまでラジオ体操は日常くさくないよなと自分に言い聞かせて十日で止めた。
「まったくねえ、夏休みになっても息子が早起きする理由が習慣を崩すのが嫌だなんて人様には言えないわよ」
「言う必要ないだろんなもん」
「修介君は規則正しい生活をしていて偉いですねなんて言われる度に、その理由のくだらなさに吹き出しそうになるんだけど私」
「くだらないって言うな」
「くだらないじゃない。部活してるわけでもなし、高校生になったらぐうたらでいつまでも寝てるようなものなの。毎日きっちり起きてこないでよ」
「それが手の掛からない息子に対する言いぐさか?」
 普通は逆だろーが。
「だってつまらないじゃない」
「なにがだよ」
 かーさんの考えてることは理解不能だ。俺は言い合い中に炊飯器からご飯をついで、冷蔵庫から麦茶をとる。自分の席に着く頃にはかーさんがカウンター越しに味噌汁を差し出してくれた。
 ご飯に味噌汁、本日のおかずは目玉焼き。朝はパンよりご飯がやっぱりいい。腹持ちが違うと俺は経験で悟ったし、味噌汁を飲むと落ち着く気持ちになる。
 家族三人で囲む食卓のBGMは、離れたところでニュースを垂れ流すテレビとかーさんの話だ。毎日毎日よくネタが続くとおもうけど、実際のところかーさんの話すことなんてたいていパターンが決まっている。家族に対する苦言か、ご近所さんの話、あとはパート先の愚痴なりなんなり。大別すればその三種類で、その内容も周期的に似たようなことを繰り返している気がする。
「あ、そういえばお隣の土地が売れたらしいのよ」
「ほう」
 ぽんとかーさんが手を叩けば、親父が言葉少なに相づちを打った。
「私は顔を見てないんだけど、若い人みたい。いい人だといいんだけど」
「ほう」
「八月の終わりくらいには引っ越してくるのかしら」
「一ヶ月くらいで家って建つもんか?」
「さあ」
「さあって」
 あんまり深く考えてないらしい。かーさんの返答はやたら軽い。
「作り方? というのか、工法によるんじゃないかしら。八月終わりなら引っ越す時期として悪くないし」
「そーかもな」
「でも残念ねえ、しゅー。年頃の娘さんがいたらどっきどきだったのに、そういう年代でもないらしいわ」
「何期待してるんだあんたは!」
「母親にあんたなんて言うんじゃない、修介」
「そーよそーよ」
「だってかーさんが馬鹿なこと言うから……」
 文句は密やかに怒れる親父の一睨みで消えた。くそう、普段無口なくせにどうでもいいところで口はさみやがって。


 なんてな経緯を話したら、神崎の野郎は爆笑しやがった。
「相変わらずイカスな、おまえの母親」
「どこがだよ」
 俺はむっつりとサンドイッチにぱくついた。朝御飯が和食な代わりと言ってはなんだが、最近昼はずっとパン食だ。その理由は簡単なもので、バイト先で安価で食べることができるから。
 しっとりしたレタスをかみちぎるように口に含むと咀嚼する。ツナから染み出したマヨネーズソースが口の中に広がった。
「や、でも、隣にかわいい子が引っ越してきたらいろいろ期待できるものがあるだろが」
 神崎もサンドイッチを食べながらその期待できることを想像でもしたのかうんうんとうなずいた。
「かわいいとは限らないだろ」
「夢ねえなお前」
「おまえの言う夢の方向性が俺は謎だな」
 やれやれと神崎は頭を振る。俺の方が同じことをしてやりたかった。が、神崎にかまうのも時間の無駄な気がして、ひょいと立ち上がる。
 夏休みの短期バイトは食品工場とでも言えばいいか惣菜工場と言えばいいのか、まあそんなところだ。スーパーやなんかにサンドイッチやらスパゲティやらを納入しているらしい工場。昼には休憩室に余った商品がわんさと並び、料金だけ払ってしまえば食い放題。胃袋と財布に優しいいい職場だった。あ、冷房が効いて涼しいってのもポイントの一つだな。効きすぎてるくらいが俺にはちょうどいい。
 皿に追加をのせあげて、神崎のところに戻る。
「隣同士だぞ? いろいろ期待できるだろうが」
「まだ話が続いてんのかよ」
「窓を開けたら彼女の部屋! なんつーシュチュエーションだってあり得るわけだぞ」
「だからそれはあり得ないんだって言われたっていったろが」
「惜しいよなあ」
 どこの何が惜しいんだか、謎だな。
「大体、高校生にもなって隣に同世代が越してきたって接点ないだろーが。高校が一緒になる確率だって低いだろ」
「いやいやいや」
「いやいやいや、じゃねえよ」
 あり得ない現実を夢見る神崎はなおもぶつぶつ何か言っていたが、もちろん聞く気なんぞ無い。
「夢見すぎだよおまえは」
「現実的すぎるおまえに言われたくないな」
「――夢見過ぎよりはましだろうが。おまえもそろそろ現実を直視したらどうだ」
 親切心からの忠告は神崎に黙殺された。
「俺達はまだ夢見てていい年頃だと思うぜ?」
「夢見るのは委員長のことだけにしとけ」
「うっわ、冷たいぞ田端ぁ」
 ミートスパを食べながら神崎が恨みがましくこっちを見る。
「このときめきを理解できないとはさてはお前」
「何だよ」
 意味ありげに言葉を止めて、ついでに手の動きまで止めて神崎は今度はにぃやりといやーな笑みを浮かべた。
「やっぱりロリコンか!」
「何でそう言う結論に達するんだーッ!」
「確かにあの子は可愛かったな。ただ年齢差がちょっと犯罪だぞ、田端」
「違うって言ってるだろが」
 神崎が言うあの子の正体なんて知れている。
 七月十四日、わざわざ俺を校門で待ちかまえてフルネームで名前を呼びやがったあのお子様。
「嫌なことを思い出させやがって……」
 せっかくあれからしばらく現れないから安心してるっていうのに。俺は思わず周囲を見回した。さすがにこんなところにあのお子様がいるわけがないとは分かり切っているが――なんとなくな。
「噂なんてして、出てきたら恨むぞ神崎」
「大体だな、あんなちびっ子とどこで知り合ったんだよお前」
「……聞くな」
 アレが幼なじみの生まれ変わりなんて言った日には、神崎にどんなことを言われるか。俺だったら黙って離れて生暖かくそいつを見守るね、絶対。
 せっかくあれから目の前に現れないんだから、思い出させるな。俺の無言のアピールに何か感じるものがあったのか神崎は口をつぐんだ。



 それから数日後、家に挨拶に来た新しいお隣さんがあのにーちゃんとお子様の二人連れで俺が呆然とするのはまた別の話。

END
2006.08.16 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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