IndexNovel遅咲きの恋

プロローグ

「総務の中村君、ニューヨーク行きだってさ」
「うわ、完璧出世コースじゃない」
「そうそうそうそう。そーなのよー!」
「入った時からただ者じゃない空気漂わせてたけど総務から海外に異動って、そっかあ。やっぱりただ者じゃなかったわねー」
 給湯室の近くにくると、テンションの高い会話が漏れてきていた。頭の高いところから出ていそうな声で、けたたましく語り合う。いかにも女の子の会話。
「有力株ってことじゃない。私狙っちゃおっかなあ、中村君」
「えー、でも今から狙っても遠距ってことじゃない。帰ってくるの相当先でしょ? 耐えれる?」
「あー。無理かも」
「狙うなら海外事業部の西中主任もありじゃない?」
「あの人怖いじゃない。仕事の鬼でしょ」
「ちっちっち、それが最近はちょっといい感じなのよねー」
「恋人ができたって噂じゃない」
「え、嘘。だからなの? うっわー。どういう女よ。あの仕事の鬼を変えるほどの女って」
 仕事中にするような話では決してない。こういう会話を平気で長い間する人が多いから、女は軽んじられるんだ。自然と深いため息が出て、うんざりする。
 多少の時間は息抜きとして問題ない。でも、長く話したいなら、休憩時間にでもすればいいのに。
「どのみち主任もニューヨーク行きでしょ。遠距なのは変わらないから」
「うーん、まあそっかあ」
「あ」
 私が給湯室の扉を開けるとぴたりと会話が止まった。広くない部屋に三人も集まって、噂話に花を咲かせるなんて仕事はどうしたの。私が嫌みを言う前に、彼女たちは慌てたように仕事に戻っていく。
 そう遠くない未来――例えば今日の仕事の後にでも――先ほどまでの会話が続くであろうことは間違いない話だと思う。あるいは、私に対する嫌みが次に花を咲かせるかも――ね。それは想像に難くない。
 経理部のお局こと畑本由希子――つまり私は、目の上のたんこぶのような存在だから。三十三歳、美人でもなく色気もない枯れたお堅い女だとみんなに思われているし、実際のところそれは事実だ。プライベートと仕事の境界が曖昧で、遊びの延長で適当に仕事をしている小娘に言われたくないけど、世の中はその小娘に甘いようにできている。
 今風の、明るくきゃぴきゃぴとした女の子に男は甘くて、私が下手に彼女たちを注意すれば厳しすぎると言われてしまうのだから。
 考えれば考えるだけ、うんざりしてしまう。くだらない思考を振り払って私はお茶をいれることにした。
 私の勤める食品メーカーはそれなりの規模を誇っている。大会社と言うほどではないけれど、何カ国かに支社を置いていて、堅実に少しずつ業務の枠を広げている。また、どこかの国に――中国のどこかの都市が有力だと噂に聞く――支社を作ろうかなんて話だって出ている。
 割と古い体質が残っているから、私のように三十路を超えて会社に残っている女は少ない。いるにはいるけれど、そういう人は雲の上の存在で、海外支社に転属になるようなエリートがほとんどだから、私のように最初に配属された部署にしがみつくように残っているのは少数派。
 出来る女は一目置かれているから、そうじゃない私は中途半端。そりゃあ十年近く働いてるから、その分効率よく業務をこなしているけど、それは誰だって慣れれば出来ること。特に才能が必要なことじゃない。
 同期のほとんどは寿退社をしていった。会社の扱いに耐えかねて、スキルアップを目指していった子も少しはいる。私はそのどっちにもなれなくて、いつまでもしがみつくようにこの会社にいる。
 上司に肩をそっと叩かれない程度には役立っているつもりだけど、若い子には疎まれ傾向。人見知りに端を発する無愛想さが原因なのはわかっているけれど、長年積み上げたものを今更崩すなんて私には無理だ。
 二十歳を超えたらそんなに年齢差を感じないはずなのに、間の年齢の子がいないものだから微妙に話題にずれが生じて、ジェネレーションギャップを感じてしまう。話の種として笑えばそれで済むはずなのに、悪意めいた笑いを常に感じれば自然と他の子と距離をとってしまうわけだ。
 「お局」サマと一緒に和気あいあいと過ごしましょうなんて彼女たちは思っていない。日々の鬱憤を晴らすための体のいいスケープゴート。数年経てば自分もそうなるなんて思わずに、今を楽しめればいい彼女たちとの間に妥協点を見いだすのは多分無理な話。
 ため息をついても現状は変わらず、救いの手をさしのべてくれるドラマの主人公のような男もいない。
 ――いや、一時期は一緒にいて心地いい人がいたけれど。今は、もういない。

2008.01.18 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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