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上乗せ理論

 彼から電話がかかってきて、私は慌ててそれをとった。
「やっほーおつかれー」
「おつかれー」
 明るい挨拶を交わして、するのはたいてい世間話。
 晩御飯を食べたかどうかとか、メニューは何だったとか。昼御飯は、以下同文。今日の仕事は忙しかったかどうかとか、お風呂にはいつくらいに入って何時に寝ようと思っているとか。
 他のコイビトさんたちが電話でどんな話をしてるかわからないけど、私たちはいつもそんな感じ。
「明日帰りますよ!」
 でも、今日に限っては少し違った。私たちはただの恋人同士で、結婚なんてしていない。同棲なんてこともしていない。
 だけどそんな言葉が出たのは、彼がこの三日ばかり出張していたからだ。
「待ち合わせ十時半だよね。ホテル七時ぐらいに出て新幹線乗って急いで帰るよ」
 明日は、デートの約束をしている。疲れてるのにいいと言ったのは私で、それは出来ないと言ったのは彼だった。
 何ヶ月も前に映画館で予告を見て以来見たくて見たくてどうしようもなかった映画だから、公開初日に一緒に見たいんだって。
「気をつけてね」
 無理しなくていいのになーと思うけど、会えるのはうれしい。疲れてるだろうけど、自分で言い出したんだから、いいんだろう。
 うんと彼がうなずくような気配。
「急ぐって言っても、新幹線が早くなる訳じゃないけどね」
 そりゃそうだと私はうなずきかけた。でも、途中でふっと気付いて口を開く。
「急げば早くなるかもよ?」
「えっ?」
 いつもする他愛ない会話だ。冗談めかした私の言葉に、彼は素直に驚いたような声を上げる。
「新幹線の中で走れば速く進むかも」
「えええ!」
「つまり――そう、上乗せ理論?」
「上乗せ?」
「そう」
 私はもっともらしくうなずいてみせる。電話先でその様子が見えるわけがないけど、彼はごくりと息をのんだ。
「新幹線の本来の早さに、乗客が内部で頑張ったスピードが上乗せさせれば……」
「早くなる?」
「早くなるかも!」
 自分で言っていて何それと思ったけど、すごいねそれと彼は話に乗った。
「早くなるって言っても微々たるものだと思うけどね」
 彼の全速力はどれくらいだろう。元々早い新幹線にそれを足し込んでも数分早くなるかなーって感じかなあ。
「いやいや、結構早いと思うよ?」
 軽口を真剣に検討してくれるところが、彼のとてもいいところだと思う。冗談は冗談でわかっていて、なおかつ乗ってくれるってのがいい。
「やばいね、その理論だと北海道から沖縄まで何時間?」
「沖縄に新幹線はないと思うけど」
「あー、九州まで? 八両編成だとして、一両に何人乗るんだっけ」
「一列五人ぐらいで十いくつかあったよね?」
「じゃあ仮に一両五十人かけることの八で、平均四百人かける時速十キロとすれば」
「一時間に四千キロ?」
「うわすげー」
 彼は感嘆の声を上げた。
「いいね、上乗せ理論。実現したらいいな。てかそれ、新幹線いらないんじゃね?」
「そうかも」
「電車ごっこみたいにヒモで連結してさ」
「あー、でもそれだと四百人とか無理だよ」
「く、そうか」
 いいアイデアだと思ったのになあと彼は残念そうに漏らす。いい大人が電車ごっこで走る様を想像してしまった私は、シュールな光景が実現しそうにないことに胸をなで下ろした。
 そんなこと実現したら、さすがに怖い。
「電車ごっこだと、何に上乗せするかって話になるしねえ」
「そうか、乗り物が必要か」
「車はどう?」
「車かー。でも人数が乗れないよなあ」
「あー、そっか。それこそ微々たるものだよね、早くなっても」
「やっぱり新幹線は必要、ってことか」
「そうだね」
「よく考えてみたら、車だと新幹線のように自由が効かないから中で走れないし」
「ってそういう問題っ?」
 うん、と彼はうなずいた。迷いなくあっさりと。
 電話の先で妙に真面目ぶってうなずいてるんだろうなあと簡単に想像がつくので思わず笑ってしまう。
「何で笑うんだよー」
「マイダーリンはかわいいなあと思って?」
「それは決して褒め言葉じゃないと思うんだけどもどうだろうマイハニー」
「いやいや、褒めてますよマイダーリン」
「気のせいだと思いますよマイハニー……ってうわ、もう日付変わった!」
「え、あ、ホントだ」
 彼の指摘で時計を見ると、十二時を少し回っている。
「明日早いからすぐ切り上げようと思ってたのに! 面白い話をしだすの反則!」
「いや反則とか言われても。思いの外話をふくらませたのはそっちだし」
「っく。いやいや、最初に上乗せ理論を語った方が元凶だし――って文句言ってる場合じゃない。じゃあ、また明日……じゃない今日、十時半な」
 早起きに自信がないと常々公言している彼は、私の挨拶も待たず電話を切った。携帯を充電器に置いて電気を消してから、私も布団にくるまって眠りにつく。



 ――翌朝、七時半。私を目覚めさせたのは彼のモーニングコールだった。
「ごめん、寝坊した。今から準備して出るから、着くの多分十二時くらい」
「了解。お疲れ様ー」
「新幹線の時間わかったらメールするよ。上乗せ理論の実現の可能性を追求してみる」
 それは密やかな嫌みですかと問いたいのを私はぐっとこらえた。
 うん今日デートだし。
 別に疲れてるところを無理しなくていいと思ってるし、早起きご苦労様と思ってるくらいだから怒ってないのにわざわざチクリと言わなくてもいいのにとは思うけど!
「わかった、期待してる。周囲の視線にめげずに頑張れ?」
 さすがに予想外の返事だったのか、彼が息を飲む。
「……うん、まあ、頑張るかも。じゃ」
「じゃあね」
 晩に引き続き返事も待たずに切ったのは慌ててるのか、単に逃げたのか――本気で頑張るわけにはいかないから、逃げかなぁ。
 彼が列車の中で全力ダッシュする姿を想像すると笑いがこみ上げる。目覚ましのセットは八時にしていたし、もう少しゆっくり寝るつもりだったけど、すっかり目が覚めた。
「んーっ、準備しますかー」
 上乗せ理論の可能性を信じたふりで、ちょっと早めに出てみるのもいいかもしれない。私は布団からもそもそ出ると一度伸びをして、出掛ける準備をすることにした。

2008.01.21 up
関連作→イエローファイブ
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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