IndexNovel私と坂上の関係

番外編4 私とにーちゃんとかきくけこ

 ――坂上っぽい夢を見た気がする。
 麻衣子とか彼氏さんとかもいた気がする。
 目覚ましの音ではっとしたら、夢の中の話は忘却の彼方。とても面白い夢だった気がするだけにもったいない。
 覚えてて坂上に話せたら「未夏ちゃんの夢に出れるなんてやったー」とか言ってなぜか喜んでくれるんだけど。
 普通は忘れちゃうものだけど、ね。
 でもやっぱりなんだかもったいない気がする。
 そんなことを思いながら着替えだけすませて、階下へ向かう。朝は廊下も階段も少しひんやりしている気がする。
 一歩一歩踏みしめるように階段を下りていたら、途中くらいで声が聞こえてきた。
「かきくけこ〜」
 って、軽やかに弾む歌声。
 思わず足を止めたのは、気が抜けてうっかりと足を踏み外したら嫌だなって思ったからだ。
「こかけきく〜」
 朝からハイテンションな声。
「きくこけか〜けきこくかっ」
 そこから再び「かきくけこ」。ぐるりと続くその歌を二周聞いたくらいで、ようやく我に返った。
 慣れてしまえば足を踏み外すような羽目にはならない。
 私はそろりと声のした扉を開けた。家は大豪邸ってわけじゃないけど、そんなに安い作りはしていない。扉を閉めたらそれなりに防音効果はあると思う。
 それなのに、その扉をすり抜けてにーちゃんの声はよく届く。
 にーちゃんは一人で台所に立っていた。
 回る換気扇、フライパンを左手、菜箸を右手。
「かきくけ……うわっ」
 にーちゃんの歌声は不意に止まった。私が開けた扉が閉まる音に気付いたんだと思う。
「え、ええと、おはよう未夏?」
 動揺が声に現れてる。聞いてないよね、という無言の問いかけにとりあえず私は首を振った。
「おはようにーちゃん」
「ええと、聞こえてた?」
「うん」
 諦めきれない問いかけにきっぱりとうなずくと、にーちゃんはばつが悪そうな顔になった。
「外に聞こえてたら近所迷惑だよ」
 にーちゃんはなにやらぶつぶつと呟いた。そんなに大きな声を出したつもりはない、とかなんとか。
 つもりはなくても聞こえたんだからしょうがない。にーちゃんの声はよく通るのかもしれないけど。
 父さんと母さんは恒例のウォーキングなのか、一人で気が緩んだから大きな声で歌ってたんじゃないかな。
「にーちゃん、フライパン、焦げるよ?」
 情けない顔で黙り込んだにーちゃんは、慌てて菜箸を動かし始める。
「俺のスクランブルエッグがー!」
 慌ただしく動いて、フライパンをひっくり返す。用意されたお皿にのったスクランブルエッグはきれいな黄色ではなかったけど、そんなに焦げてはいないみたい。
 ちょっと茶色がかってるけど、セーフってところかなあ。家を出て大学近くで一人暮らしをしてるにーちゃんは簡単な料理くらいは出来る。私もちょっとは見習わないといけないと思う。
 麻衣子みたいにうまくは出来ないだろうけど、私だってほら、坂上にお弁当を作ってあげたいなあなんてあこがれたりするもの。
「ご飯は?」
「え、あ、食べる」
 にーちゃんはスクランブルエッグのお皿をカウンターに置いた。母さんが作っていたお味噌汁をにーちゃんがよそうのを見て、私は慌てて炊飯ジャーに駆け寄った。
 二人分ご飯をよそいで、食卓につく。
「未夏にも分けてあげるよ」
 にーちゃんは失敗寸前だったスクランブルエッグを箸でほぼ半分に切り分けた。
「ありがと」
 にっこり笑っていただきますをして、食べ始める。
 ご飯にお味噌汁に、スクランブルエッグ。
「卵焼きなら和食っぽいのにねー」
 呟いてみたら、にーちゃんは何故か胸を張る。
「まあまあ、そんなこと言わずに一口」
「えぇ?」
 勧めに従って、とりあえずにーちゃん作のスクランブルエッグに箸をのばした。一口分挟んで、口にする。
「味は和なんだよ、未夏くん」
「うん、そうだね」
「だし巻き玉子が食べたい気分だったから、とりあえずめんつゆを混ぜてみたのだよ」
 ふはは、と自慢げににーちゃんは言い放った。
「巻いてないけど……」
「えーと、だし巻き風味スクランブルエッグと名付ければ完璧?」
 何となくスクランブルエッグは洋食だと思うんだけど。にーちゃんもそれは感じているのか、伺う視線。
「気持ちはわかる、かなあ」
「なら、よし。巻くのは難しいんだよ。それよりもぐちゃぐちゃした方が簡単だし」
「そーだねえ」
 私だって、卵焼きくらいなら挑戦したことがある。甘いのが好きだから砂糖を入れて、卵焼き専用のフライパンに少しずつ流し込んで焼こうとしたんだけど。
 結果は巻くタイミングが遅かったのかうまく巻けなくて、ぴっとはみでた巻き終わりの部分をお箸でもって持ち上げたらまるで巻物のようにくるくると一枚の薄焼き卵みたいになってしまった。本当は薄くもなくて、厚みがあったくらい。
「卵焼きをマスターするのは、未夏に任せた!」
「ええっ」
「卵焼きは男のロマンだからね、うん」
 にーちゃんはわかったようなわからないようなことを言って、話題を煙に巻く作戦だ。
「坂上君もきっと卵焼きにロマンを持ってるに違いない。頑張れ。そしてうまくいったらお兄様に食べさせてくれるがよいよ」
 勝手に坂上をロマンに巻き込まないで欲しいんだけどなあ。
 にーちゃんは自分のアイデアが気に入ったらしくて、一人うんうんうなずきながらご満悦だ。
「ねえ、それよりもにーちゃん」
 何となく反撃したい気分になって、私は少し身を乗り出した。
「なに?」
「さっきの歌はどこからやってきたの?」
「え。ええと、覚えてた?」
 にーちゃんは一瞬ぴたりと動きを止めた。
「もしかして、誤魔化そうとしてた?」
「完璧な作戦だと思ったのに」
 にーちゃんは基本的に嘘がつけない人だと思う。一瞬さまよった視線がテーブルの端っこに向かったのがわかる。
 さすがに生まれてからの付き合いだから、他の人のことは気づけなくてもにーちゃんの考えくらいならなんとなくわかる、ような気がする。
「いや、いいリズムだと思ってね。たららららー、たららららー、たららららー、たらたららっ。ほらなんかいい感じ!」
 誤魔化すように明るい声を上げて、箸を振り回す姿はちょっと行儀が悪い。
「まあ、にーちゃんの好きな風に歌うのはかまわないけど」
 私は言いながら、しっかりと机の端を見た。そこにあるのは秋の味覚の一つ、オレンジ色の柿が数個。
「柿から何であんな歌なんだろ」
「そんな過去のこと覚えておりません」
 にーちゃんは冷静を装ってぽつりと言った。思いつきで歌ってみただけで意味がない、それはまあいつものこと。
 むしろ理路整然と理由を説明された方が怖いよね。
「歌うのはかまわないけど、目にしたものですぐに適当に歌う癖はどうにかした方がいいと思うよ」
 にーちゃんは思うところがあるのか少し言葉に詰まって、それから「そうだね」と意外とまじめな顔でうなずいた。

2006.10.31 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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