IndexNovel私と坂上の関係

番外編8 バレンタインのその前に

「あのね、麻衣子。お願いがあるんだ」
 私はドキドキしながら麻衣子に声をかけた。体育の授業が終わって、着替えている途中の手を止めて麻衣子が顔を上げると緊張が増してしまう。
「なに?」
「あのね、チョコの作り方、教えて?」
 私がおずおずと切り出すと、麻衣子は目をぱちくりとさせた。
「チョコぉ?」
 驚いたのかいつもより高い声が麻衣子の口から出て、何かを悟ったかのように表情が変わる。
「バレンタインね?」
「うん」
 坂上にチョコ渡したいんだ。出来れば、手作りで。手作りチョコなんて初めての挑戦だし、それなら料理全般が得意な麻衣子に協力してもらえばいいんじゃないかとひらめいたんだけど……。
「坂上にねだられた?」
 あいつも我が儘言うわねえと続くから、私は慌てて首を振る。坂上は何も言ってない。私が勝手にバレンタインをしてみたいって思っただけ。
「初めてのバレンタインだし、ね?」
「――もー。初々しいなあ未夏は」
 麻衣子は坂上に文句をつけていた口を一瞬閉じて、意外そうな顔になって、それからにっこりした。
「初々しいとかそういうんじゃないけど」
「可愛いんだからもー。去年は全く興味がなかったみたいなのに今年は手作りしたいくらい張り切っちゃうなんて」
 麻衣子がにやにやと私の頬をぐりぐりしようとするから私は慌てて距離を取った。
「違うよ。にーちゃんが彼女さんに初めてもらったチョコが市販品で落ち込んでいたから、手作りがいいかなって思っただけで」
 誤解のないように言うと、何故か麻衣子は呆れた顔になった。
「何でそこで比較条件におにーさんが入るかな未夏は」
「なんでって言われても困るけど……」
 あれはもう何年前だっけ。私が中学生で――三年くらい前、だったっけ。
 その前の年の秋に彼女が出来たといったにーちゃんは年末の里帰りの時、彼女さんがどんな人なのかそれはもう熱く語ってくれた。
 仕事の関係でバタバタしてたからクリスマスは不発に終わって、次の大イベントはバレンタインだって。今年こそ本命チョコがもらえるってすごーく喜んでた。
 でも、当日に既製品のチョコを渡されたんだって、しょんぼりしてた。手作りは男のロマンなのに。失敗してても気にしないのにってぶつぶつ言いながら、それでもそのチョコをわざわざ私に見せて自慢してくれたけど。
 彼女さんはそれなりに気合いを入れたんだなーってチョコだったんだよ。だけどにーちゃんは満足しなかった。もちろんうれしそうではあったけど、どうせなら手作りが良かったって。
 だから、お菓子作りなんて調理実習でしかしたことないけど私は挑戦してみたいと思ったわけ。坂上もにーちゃんと同じくイベント好きだし、やっぱりここは手作りかなって思うから。
 詳しく説明すると、またブラコンとか言われそうで私は説明を避ける。
「坂上には禁句だからね、それ」
「ん」
 麻衣子の言葉に私はこくりとうなずいた。
「それで、何を作りたいの?」
「――麻衣子が教えてくれやすいのでいいんだけど。原口君には何を渡すの?」
「祐司に?」
 意外なことを聞いたかのように麻衣子は首を傾げる。
「あー、そうか。そういえば私も付き合って初めてだなあ、バレンタイン」
「そういえば、って」
「いつもは父さんに渡すのを兼ねて、お隣にもケーキだのクッキーだの持ってってたけど……」
 麻衣子と原口君は幼なじみだから、完全に初めてって訳じゃないみたいで、中途半端に天井を見上げてうーんとうなる。
「今更別の形にするのもなあ。でもなあ、去年……」
 何か考えることがあるらしく、麻衣子は着替えを再開しながらぶつぶつもごもご言っている。
 麻衣子は私の背中を後押ししてくるのに、自分のこととなったらいまいち素直になりきれないらしい。幼なじみだから気恥ずかしいっていうのもあるのかな?
「じゃあ、原口君にも一緒に別の何か作って渡そうよ」
「うーん。でも祐司は甘いの苦手だしなあ。坂上はそうでもないでしょ?」
 後押しすれば麻衣子も行動に出やすいかも、そう思って口にすると彼女は唸った。
「使うチョコレートを甘くないのにしたら、原口君でも食べられるんじゃない?」
「まあ、それはあるかもねえ」
「それに今までと違うものをもらったら、原口君もうれしいと思うよ」
 もう一度麻衣子はうーんと唸って考え込む。
「そうね、そうしようかな」
 そこから相談して、私が初心者だから簡単な生チョコを作ろうって事になった。
「その方がオーソドックスだし、坂上は喜ぶと思うわ」
 そう麻衣子が言うんだから、教えてもらう私ははいと素直にうなずくだけ。
「ケーキにしちゃうと、私の方がいつも通りだからね。祐司がどう思うかわからないけど――ま、特別感はあるんじゃないかな」
 道具が沢山あるからって学校の調理室で制作することに決めたのも麻衣子で、そのための許可を先生からもらってきたのも彼女だ。家庭科部だからか、案外すんなり許可は降りたんだって。
 バレンタイン前日、一度学校を出て材料を買い込んできて、道具を取り出して作る準備は万端。
「私にも出来ると思う?」
「溶かして混ぜて固めるだけだから難しくないと思うわ」
 なのに今更怖じ気づく私に麻衣子は明るく言ってのけて、バレンタインレシピが載った小さな紙切れの一部を私に手渡してきた。
「これの通りに作れば大丈夫なはずよ」
「はず?」
「今までケーキしか作ってないって言ったでしょ?」
「麻衣子も、初めて?」
「そ」
「いきなり本番って、ちょっと……無茶じゃない?」
「大丈夫だって。よっぽどのことがなければ失敗しないと思うから。簡単なもんでしょー? ちょっとチョコを刻むのが大変だけど、生クリーム温めて刻んだチョコを溶かして、バットに流して冷蔵庫で固めるだけ」
「冷蔵庫で二時間以上冷やし固める――って、下校時間になっちゃうと思うんだけど」
「明日の昼に様子を見て、ラッピングしたらいいわよ」
 料理に慣れている麻衣子はなんでもないことのように言うけど、失敗したらと思うと緊張が増してしまう。失敗したらやり直しがきかないってことじゃあないの、それ?
 教えてもらう立場で言えないけど、せめて昨日から準備とかしてた方が良かったんじゃないかなあ。負い目がある分言うに言えなくて、私は黙って麻衣子の行動を真似た。
 チョコレートを刻むザクザクした音は、私より麻衣子の方がリズミカル。彼女の倍の時間をかけて刻み終えると、待っていてくれた麻衣子と並んで小鍋で生クリームを温める。
 沸騰したら火を止めて生クリームに思い切ってチョコを入れ、溶けるまでぐるぐるかき回して、チョコレート色に変化した鍋の中身をバットに移す。
 バットに流したチョコレートの表面を出来るだけ平らになるようにして、それから冷蔵庫に入れる。言葉にすると簡単な作業なのに、刻むのに時間がかかったせいもあって結構時間が過ぎていた。
 冬の日差しはもう落ちかかっていて、道具を片付けたら下校時間。当然冷蔵庫を覗いてもまだチョコは固まっていない。
「やっぱり明日ね。お昼に来ましょ」
 麻衣子は言って材料と一緒に買い込んできたラッピングアイテムを準備室にしまい込んだ。



 そして次の日、バレンタインデーのお昼休み。
 予定通りに私と麻衣子は家庭科室で前日の成果を取り出した。
 先に取り出したのは料理慣れした麻衣子で、私はあとからバットを取り出す。
「いいんじゃない?」
 満足そうに麻衣子は呟いてチョコをバットから取り出し、温めた包丁で真四角になるように手早く切っていく。
「未夏はどう?」
「多分、大丈夫」
 鮮やかな手つきを見ていた私は怖くて正視できなかったバットの中身をようやく見下ろした。頑張っただけあって、見た感じは麻衣子のと変わらない。
 違うのは、使ったチョコレートの種類と、作り手の腕の差。麻衣子のに比べてならし方が足りなかったのか私のはちょっとぼこぼこしてる気がするけど。
「あとはココアをまぶせばいいから」
 そう麻衣子が言うとおり、ココアをまぶせば――多分、見た目は気にならないんじゃないかな。
「そうだね」
 私もチョコレートをバットから出して、麻衣子と同じように包丁を使う。同じようにと言っても慣れてなくて、切った形もちょっと歪な気がするけど……手作りっぽいから、かえっていい……よね?
 自分に言い訳しながら思い切って全部切って、麻衣子がチョコにココアをまぶしていく手つきを見学する。
「こんなもんかなー」
 作業を終えた麻衣子はひとかけらチョコを口に入れて、よしと一つうなずいた。
「はい、未夏も。味見――どう?」
 それから私の口にもひとかけら。
「おいしい!」
「甘さも――まあ、許される範囲よね。ほら未夏も早く」
「そうだね」
 お昼休みは長いとはいえ、ご飯を食べたあとだから残りは少ない。麻衣子を真似て私もココアをまぶしたチョコを自分の口と彼女の口に入れてみた。
「いいんじゃない?」
 私のも、麻衣子のより甘いだけで食感とかは変わらない気がする。それに、麻衣子がいいと言ってくれたから、気のせいじゃないと安心できた。
「よかったー! ありがとう麻衣子」
「どういたしまして」
 麻衣子はくすぐったそうに笑ったあと、準備室からラッピングアイテムを持ってきた。
「早くしましょ」
「うん」
 用意したのはやや厚みのある正方形の箱。それに出来るだけ綺麗な形の生チョコを詰めてフタをして、包装紙でくるむ。
「出来たっ」
 素人仕事だから気になるところもあるけど――仕上げにリボンをかけたのを見計らったように予鈴が鳴って手直しできない。気になるところがある方が手作りだって証明になるからいいって事にしようかな。初めてで全部うまくできるほど私は器用じゃないし。
「本当にありがと」
「いいのよー。私も、祐司を驚かせるネタが出来たしね」
 同じようにチョコを包んだ麻衣子がにっこり笑う。
 包みきれなかったチョコは半分ずつにして交換してビニール袋に入れていると、授業時間まであとわずか。準備しておいた手提げ袋に大事なチョコとビニールを詰めて、私達は慌てて家庭科室を飛び出した。

2009.02.04 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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