IndexNovel恋愛相談

 玲子とランチをしてから数日は、穏やかな日が続いた。
 吉田が私の目の前に現れるという不可解な現象がぴたりと収まり、ほらやっぱり気のせいじゃないのと落ち着いた心持でいると仕事までがスムーズに進むのでとても気分がいい。
 比較的仕事の少ない時期なので残業もなし、終業後にまったくもって予定がないことだけが難点と言えば難点か。
 人生というのは実にままならないものだと思う。学生時代は暇があれどお金がなく、社会人になりたては一転、お金はあっても暇がないことになる。
 そこから数年たった現在は――私に限って言えば、一人暮らしを始めたことと、貯金に精を出していることもあって遊ぶお金が充実しているとは実は言い難い。
 ないわけではないけれど、誘う相手の心当たりが年々少なくなっていく傾向にあるものだからね。
 例えば、仕事大好きな子もいれば、休みの関係で都合が合わない子もいる。あるいは結婚して自由に出歩けない子もいたり、彼氏を優先している子だっている。
 気にせず誘えば予定を擦り合わせて集まることはできる。だけどふと思い立った時に突然誘えるようなフットワークの軽さを持っている子は、皆無だ。
「それは寂しくないか?」
 不意に吉田の言葉が思い出された。顔が苦々しく歪むのを感じる。
 あの酔っ払いめ。人があえて目をそらしていたことを、酔いの勢いで指摘するなんてとんでもないことだった。
 生涯独身であることを半ば覚悟し時折夢想する未来には、私だって不安を覚える。今でさえ、友人たちとの付き合いはかつてより希薄になりつつある。付き合いという糸は繋がっていくとは思う。だけどそれぞれの環境の変化がその糸を細く長くするであろうことはすでに明白だった。
 新たな関係をどこかに見出すことは不可能ではないだろうけど――新しい一歩を踏み出すきっかけはなかなか得られない。
 何かのスクールに通うという手はあるだろうけど、これといったひとつが、なかなか。
 信号待ちで立ち止まった瞬間に思わずため息がこぼれた。
 たとえ善意からでも、酔っ払って口が軽くなっていたとしても、さして親しくない同期なんて相手から指摘されるには痛すぎる言葉だった。あの時は私も酔っていたから引っ掛かりつつもそれなりに流したけど、考えれば考えるほどだんだん納得いかなくなる。
 この間の食事の時にでも、文句を付けておけばよかった。そうすれば多少すっきりしていたはずなのに。
 きっと次に会うのはいつ開催されるのか幹事次第の同期会。その頃まで覚えていて文句を付けても、きっと吉田は覚えてもないんだろうな。きっと酔っ払ってわけのわからない難癖を付けてきたと思われるのがオチだ。
 むしゃくしゃした気持ちを抱えながら青信号を合図に地面を蹴りつけながら歩く。ヒールが多少すり減ったって構うものか。どうせしばらくしたら買い換える予定のくたびれたものだ。
 長い横断歩道を渡り終える頃には多少気が晴れて、八つ当たり気味に靴を痛めつけるのを止める。
「今、帰りか?」
 なのにだ。
 落ち着いた気持ちをあざ笑うかのように聞き覚えがある声が聞こえた。
 気のせいだと自分に言い聞かせ――あるいは、別の誰かに声をかけたのだと信じようと思ったのに、あろうことかそいつは私の名を呼んですっと隣に並んできた。
「すんげえ歩き方してたけど、嫌なことでもあったのか?」
 会えば文句を付けたいとは思ってた。
 だけど私は、あんたのせいで思い出し怒りをしてたのよ、なんて出会い頭に言い放つほど常識を捨ててはいなかった。
「まあ、そうね。あんたも帰るところ?」
 視線を全く合わせないのも失礼な話だろうから、私は隣に並んだ吉田の顔をちらりと見上げた。
 聞くまでもなく、帰り道のようだった。勤務中にすれ違った時にはきっちりと締められていたネクタイが少し緩んでいる。
「案外営業も暇なのね」
「いやいや、昨日までの激しい波がようやく収まったところデスヨ」
 軽口めかして口にした嫌味を吉田は同じく軽い口ぶりでスルーする。
 本気で受け取られるのも後々困るけど、スルーされるのもそれはそれで納得いかない。だからといってむやみやたらに喧嘩を売りつけるほど常識は捨てられない私は仕方なしにもう一度地面を蹴りつけた。
「何、安永。そんなにイラつくことがあったわけ?」
「まあね」
 ああ、あんたのせいだと言えればどれだけ気が楽だろう。
「それはよくないなー」
「そーね。精神衛生上非常によろしくないわね」
 あんたが目の前にいるのが。
 本当に言うことができたらすっとするのに、言えるわけもなく私は口をつぐむ。
「気晴らしに飲みにでも行くかと言いたいところだけど、そういうわけにもいかないか」
「そりゃそーでしょ」
 そんなの願い下げだ。だいたい私なんかを誘っている暇があれば、本命にアタックすればいい。
「どっかに茶でも飲みに行くか」
「は?」
 じゃあねと声をかけて退散しようかと思ったら、吉田が突拍子のないことを言い始めた。
「何言ってんのあんた。私なんかと過ごす暇があるんだったら本命のところに行きなさいよ」
「なッ」
「何、振られたのすでに」
 絶句した吉田に思わず言ってしまったけど、傷口に塩を塗り込むような言葉だったかもしれない。
 この口の悪さがよくないのよねと、すぐに私は反省した。吉田だって、恋愛相談を持ちかけたとはいえさして親しくない同期にこんなこと言われたくないだろう。
 いくら吉田にいらついているからって、言っていいことと悪いことがある。
「……それに近いものはあるかもな」
「ご愁傷さま?」
 苦々しい顔で同意する吉田に、だけど謝るのは癪だった。だから自然と気持ちのこもらない言葉をかけて、それじゃ駄目だとフォローの言葉を探す。
「あー、まあ。近いってことは、完璧に振られちゃいないってことでしょ。頑張れば逆転できるかもよ?」
 我ながら無責任な言葉だと思ったし、吉田にとってもそれは同様だろう。ため息を漏らした彼は数度頭を振った。
「だんだん見込みがなくなってきてる気がするんだけどな」
「あら弱気ね」
「弱気にもなる」
 吐き捨てるように言うと、吉田はもう一度ため息をついた。
「結構あからさまに動いてるはずなのに、ちっとも気付いてもらえないってどうなんだろうな」
「それは……」
 脈がないって言うんじゃないかしら、今度は言い放ってしまう前に言葉を飲み込むことに成功する。
 吉田はちらりと私を見下ろして、それから前を見た。
「正直、こんなに鈍いとは意外だった」
「それは……やっぱりご愁傷さまねえ」
「いやほんと、マジで――素面の時に真顔で愛を語るなんて俺のキャラじゃないから、少しでも慣れてもらっている間に気持ちが伝わればと思ってたわけだけど」
 ぶつぶつと吉田は呟いている。なんとなくそれに付き合って歩く私は少しお人よしだと思う。
「本人が全く気付かなければ、無意味だろ」
「そうねえ」
 私の相槌に吉田は嫌そうな顔をする。三度ため息がこぼれて、彼はがっくりと頭を垂れた。
 見込みがないなら諦めるのも手だと思うと言いかけたけど、吉田が求めているのはそんなアドバイスじゃないだろう。他にもっといい相手がいるでしょうと続けても、何のフォローにもならないだろうし。
 来るもの拒まず去るもの追わずのイメージがある吉田なのに案外そうでもなかったらしく、諦めきれないことが雰囲気で伝わってくる。
「本気なのね」
「かなり、な」
「相手が鈍くて見込みがなさそうでも?」
 はああと吉田はひときわ大きな息を吐いた。
「そこが逆にいいと思った時点で終わってるよなー」
「え、なに、あんたマゾ?」
「なんでそうなる!」
 吉田は唸るように叫んだ。
「思ったんだよ最初は。わかってて俺のことが嫌だから気付かない振りしてるのかって」
「――その可能性も否定できないんじゃない?」
「いや、それはない」
「断言するわねえ」
「事実だからな」
 吉田はさっきまでが嘘みたいに自信たっぷりにうなずいた。
「割合はっきり言ったはずなのに、俺が言い寄ってる事実に気付いてない」
「――その鈍くて脈のない彼女のどこが逆にいいって思うわけ?」
 モーションを掛けてもなんのリアクションもよこさない相手なんて吉田にとってはつまらないだけに思えるけど、そこが新鮮でいいってわけかしら。
 吉田は私の質問にふっと笑みを漏らした。彼女のことを想ったんであろう、ずいぶん優しい顔だ。
「気になったきっかけも、意外性だったからな。鋭そうに見えたのに案外鈍いってのも、マイナスにはならない」
「気付いてもらえないのは明らかにマイナスだと思うけど」
 微笑みが苦笑に転じた。
「それはそう、なんだけどな」
「なのにそこに惹かれちゃってるわけ?」
「そんなとこ」
 やっぱりこいつはマゾなんじゃないかしら。さすがにもう一度口にするのは失礼に過ぎるからふうんと相槌を打つ。
「結果はどうあれ、想いが伝わるといいわねえ」
 ついでに相談された手前、激励の言葉をかけておく。余計な言葉を頭につけるくらい、まあ許されるだろう。
 実際見込みはなさそうに聞こえたし、私は吉田に文句を言ってやりたいと思ってたんだから。
「伝わらないなら、伝えたらいいだけの話だからな。せっかく安永にアドバイスもらったんだから、最初からしてりゃよかったんだけど」
 簡単には信じてもらえないって言われたから徐々に悟ってもらえたらって思ってたんだけどなーとぼやくように続けて、吉田は足を速めた。
「そんなわけでだ、安永」
 まるで通せんぼするかのように吉田は私の前で足を止める。
「何?」
「ここまで言ってもやっぱりさっぱり気付いてくれない安永のことが俺は本気で好きなんだが」
「はあぁ?」
 予想外の言葉に、私は間の抜けた声を上げた。冗談かと思った。だけど吉田の顔は思いのほか真剣だった。
「ほら、気付かない振りしてたわけじゃないだろ。気付いてなかったよなその反応」
 唖然とする私の気を紛らわせるためか、吉田は変に真顔のまま軽口を叩く。
「ちょ、何、何トチ狂ったこと言ってんの」
 その軽口に勇気づけられて、ようやくまともな言葉が口をつく。
「ひ……人のことを実験台にするのはやめてよ。言ったでしょ、社会人になってからこういうことには縁遠くなったって!」
「実験台じゃねえし。てゆか、安永に長いこと恋人がいなかった事実もある意味意外だったんだけどなー」
 口をパクパクさせる私を見て、吉田は相好を崩した。
「仕事関係の男に媚び売る必要がないくらいの本命がいるかと思ってた。まさか激しく鈍くて、ちょっとつついたら動揺するタイプにも見えなかったし」
「誰が鈍いってのよ! 私はこれでもしっかりしてるって言われてるんだから」
「仕事面ではしっかりしてるみたいだけどなー」
「全般的によ!」
 爆弾発言の時の真顔が嘘みたいに吉田は楽しそうに笑う。
「恋愛方面に疎いとか、マジ意外」
「疎くはないわよ――最近縁がなかっただけで」
「いや、疎いだろ。ちょっと俺に告られたくらいで顔が赤いし」
 すっと吉田の手が伸びて、私の頬をなぜた。
「ちょっ、あ、あんたねえ!」
 思わず数歩退いて、私は吉田に指を突き付ける。
「何考えてんの!」
「なに、って」
 私に向けて伸ばしていた手を軽く握って開くと吉田はにっこりと笑う。
「安永が意外と可愛いなんてもうけものだなーと」
「かわっ?」
「ますます好きになった」
 ぽんぽんと恥ずかしいことを言い放つ吉田は本当に楽しそうで、動揺するばかりの私は面白くない。
 この私のどこが可愛くてどこが鈍くてどこに気にいる要素があるのかと!
 意外となんて形容している時点で褒め言葉じゃなかった気はするけど!
 じっくり問い詰めてみたくても、軽くいなされそうでできなかった。大体、吉田と私とじゃあ踏んだ場数が違いすぎる。
「あれだな、安永は学生時代猫被ってたって言ってたろ。素で恋愛したことないから、擦れてないのな」
 どう切り返していいのか迷っているうちに、吉田は平然と分析を開始する。
「若い奴にはわからなかっただろうなー。猫を被ってた気の強い安永が動揺すると案外可愛いだなんて」
「な、な……なにを、あんたは、言ってんの」
 吉田がおかしい。絶対おかしい。
 嬉しそうに楽しそうに「俺が一番に気付いたみたいでよかった」なんて言うなんておかしい。
 恋は盲目だとかあばたもえくぼだなんて言葉がポンと頭に湧いて、すぐさま振り払う。
 いやいや、違う違う。吉田が私に惚れるとかあり得ないから!
 今までの吉田の彼女と私に共通点はちっともないから!
「安永が信じてくれるまで、愛を語ろうかと思って。そうしたら、考えてくれるんだよな?」
 確かにこの間の同期会で、私はそんなことを言った。
 それなりに真剣に答えたから、私が好きだなんてトチ狂ったことを言い出した吉田がそのアドバイスに従って行動するのは間違ってない、んだろう。
 だけどまったくもって信じられなくて、何も考えることができない。
「しらないわよ、そんなの」
 馬鹿みたいにたどたどしく何とか言い放つと、私は吉田をキッと睨みつけた。
「冗談は休み休み言ってちょうだい!」
 言い放って逃走する私の後ろを平然とした吉田の声が追ってくる。
「本気だけど、安永がいっぱいいっぱいのようだから、検討しとく」
 内容が内容だけど、当人が追ってこなかっただけで良しとしよう。
 混乱したまま逃げ出した私は無意識に慣れた道をたどったらしく、はっと我に返ったのは自宅前だった。
 吉田の馬鹿な発言を洗い流そうとシャワーを浴びてもすっきりせず、食欲もなかったので賞味期限間近のヨーグルトだけを胃袋に入れて、布団に入ってとにかく羊の数を数えながら眠りに就こうにもろくに眠ることができず、私は最悪の週末を迎えることになった。

2009.09.15 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

←BACK INDEX NEXT→

感想がありましたらご利用下さい。

お名前:   ※ 簡易感想のみの送信も可能です。
簡易感想: おもしろい
まあまあ
いまいち
つまらない
よくわからない
好みだった
好みじゃない
件名:
コメント:
   ご送信ありがとうございますv

 IndexNovel恋愛相談
Copyright 2001-2009 空想家の世界. 弥月未知夜  All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.