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三章 英雄王と姫と護衛
それは衝撃的な言葉だった。
エルラの頭は真っ白になってとっさに何も思い浮かばない。
名乗った青年――ナーインアクダに次に声をかけたのは、だからエルラではなかった。
「ナーインアクダ・エルムスランド。ご先祖様?」
ぼけぼけのレスティーでもさすがに何度も名前を聞いた英雄王の名前くらい知っている。
ナーインアクダはこくりとうなずいた。
「彼らが君と僕と雰囲気が似ていると言うんだからそうだろう――僕は僕よりも君によく似た雰囲気の人を知っているけど」
こっそりと呟くのを聞いてレスティーは首を傾げるが、青年は気にせずに続けた。
「確証が持てなかったから、変な聞き方をして悪かったね」
「ほえ?」
「どうしてここに来たのか、ってね」
『ナーインアクダ』
「うわあ、しゃべったっ!」
竜の声――多少声が変わっているがレクトの声だろう――に驚き声をあげるレスティーに微笑んでからナーインアクダは顔を上げた。
「そうですね、いそがなければ――」
レスティーを優しくなでてやってから踏み出す。
「ここでじっとしていてくれるかな。時を越えることは禁忌だけれど、意図せず時を越えてしまう者を放り置くのはそれこそが時空神様の本意ではないから、すぐに帰れるはずだよ」
「はぁ」
よくわからなくてレスティーは首を傾げた。その様子にナーインアクダは優しく彼女の頭をぽんと叩いてやった。
「お嬢さん」
エルラの方を見ると、衝撃を受けて口をぱくぱくしている。
「お嬢さん?」
レスティーとそっくりに首を傾げて、ナーインアクダはじーっとエルラを見た。声に力を込めるとようやく我に返って、エルラは口をぱくぱくするのをやめる。
のどを鳴らして――平静を保つためだろう、竜たちを視界に入れないように気をつけながら青年を見やる。
「なんでしょうか?」
口調の変化にナーインアクダは眉を寄せた。だがそれについてはなにも言わず、しっかりと彼女に向き直る。
「この子を頼みますね」
遙か隔てた子孫がお気に召したらしい。ナーインアクダの言葉にエルラは迷わずうなずいた。
『ナーインアクダ』
今度はレディアの方が青年をせかすように声を出す。
『あなたがその子を気に入ったのはわかりましたけど、時間がありませんわ』
「このこでもそのこでもなくレスティーですっ」
場を読めていないレスティーの主張に青年と竜は顔を見合わせた。
『レスティー、あなたが無事に戻れるよう祈ってますわ』
レディアはくすくす笑って、そして『先に行ってますわね』、と兄を促した。
竜の巨体が浮かぶ。どっしりとした見かけにそぐわない軽やかな上昇だ。
ばさりと翼をはためかせ、ゆったりと遠ざかる。
羽ばたきで風が巻き起こらないのは、竜が人間達に配慮したからだろうか。
その姿を見送る子孫の娘がなにやらものすごくうれしそうな顔をしているのを不思議そうに見ながら、ナーインアクダは数本のナイフを取り出す。
「何をするのですか?」
辺りに魔物の気配はないようだった。もっとも魔物の気配を読む自信がエルラにはないから、自分にわからない何かを青年が――偉大なる英雄王が感じ取ったのではないかとさらに辺りをうかがう。
「保険だよ」
そのエルラに答えながら、ナーインアクダはナイフをとすとすと地面に突き立てた。
「おいで」
レスティーとエルラを手招きして、ナイフで作った円の中に立たせると彼はごにょごにょと何かを唱えた。
(何だ?)
一瞬思って、それからエルラは思い出した。
英雄王は、ただの剣士じゃあない。魔法も使える魔法剣士なのだ。
うっすらとした光の幕が二人を覆ったことを確認して青年は満足そうにうなずく。
「僕よりも、彼らがした方がよほど効果があるんだろうけど、今は少しでも力を温存しなくちゃならないからね」
そんな風に言いながら、友人達の方をちらりと見る。
「そこから動かないで。魔物は僕たちを狙うだろうけど、ここにこないとも限らないから」
笑みを消して、真剣な表情で青年は忠告した。
「ご、ご武運を」
「頑張ってくださいね!」
エルラが反射的に言うのに反応して、レスティーが身を乗り出す。
光の幕に触れそうになるレスティーと慌てて制するエルラが面白かったのだろう。真剣な表情を瞬時に消して英雄王は言った。
「僕の無事は君たちがもう知っている。だから君たちは自分が無事帰れるように時空神様に祈ってなさい」
そうして彼は走り出す。
振り返らずまっすぐに、迷いない足取りで。
「名前で呼んでくださいましたねえぇ」
青年が茂みの奥に消えるのを見送って、竜達を見上げたレスティーがものすごくうれしそうに呟く。
「姫様……」
そんな場合ですかと言いそうになって、それこそ突っ込んでいる場合でないとエルラは気付く。
竜がいる時点で、彼らの言い分は疑おうにも疑えないわけだし、そうなるとここが1500年近く前の時代であることは信じられなくても信じるしかない。
時空神に祈るなどと言われても、その存在をエルラは知らない。
それは旧暦の終わり、新暦の始めに失われたことなのだろう。
魔物の封印の代償に神は名前すらも変容させてしまったから。
(偉大なる神よ――)
だから知っている神と、そして眠る竜に祈る。エルラが祈れる対象はそれしかない。
「いい人ですねぇ。いい竜さんって言うべきかなぁ?」
場違いなレスティーの呟きを聞き流しながら。
その祈りが通じたのか変化が起きたのはすぐだった。
――足下からの光がいっそう強くなる。
「ほえ?」
「通じた?」
まぶしくなって二人はほとんど同時に強く目を閉じる。
竜たちの羽ばたきでは全く感じなかった、風を感じ――そして、気づいたら。
2004.06.01 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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