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三章 9.そのころ、彼女は。
姫様の部屋に一人戻ってきたフィニーは腕まくりをして辺りをひっくり返した。
隠れんぼをするような年齢ではないが、姫様だったらあるいは物陰に隠れてもおかしくない。
戸棚を開けて、机の下やベッドの下も覗いてありとあらゆる場所を見て回ってから、やっとやはりいないと結論づける。
「エルラは姫様を見つけだしたかしら?」
呟いてさてどうしようかしらと考える。捜しに行ってもいだろう。でも打ち合わせが終わった侍女仲間――向こうはそう思ってないかもしれないが――に遊んでいると思われてもしゃくだ。
行き違いになってもいけない。
エルラのお説教が待っているかもしれないけれど、姫様においしいお茶とお菓子を出して差し上げよう。
それがとてもいい考えに思われて、フィニーはお気に入りのミニキッチンに向かう。
やかんに水を注いで、竈にかけて火を起こす。
戸棚からティーカップを取り出して、姫様が大好きな茶葉も出す。
そしてポットを手に取ったときに、異常な魔力を感じて彼女は凍り付いた。
取り落としたポットが嫌な音を出して壊れるのにもかまわずに、彼女ははじけるように走り出した。
窓のある方へ。窓を勢いよく開けて、その場所を見る。
「寝殿……」
それは寝殿の方向だった。鋭い者なら――例えばウォークフィード博士辺りならばその魔力を感じ取ったかもしれない。
それは突然膨れ上がり、数分もないうちに消えた。フィニーが気配を感じて、寝殿を目にした辺りで何もなかったように跡形もなく消え去っている。
魔力が消え去ったのは、いい。
異常な魔力は気にかかるが、それよりも気になることがある。フィニーはぴたりと動きを止めて寝殿を睨み付けた。
「おかしいですわ」
それは、彼女しか感じ取れないことだった。
姫様に――大事な大事な姫様に、こっそりとかけておいた魔法の気配が異常な魔力が消えたと同時になくなってしまっている。
王宮から姫様がいなくなればわかる程度の、微弱な気配。
(誘拐?)
考えて即座に否定する。あり得ないとは言い切れない。でも異常な魔力が消えたと同時なのだから、そちらを疑うのが筋だろう。
それでも口に呪文を乗せて、魔力を広げて広げて、姫様の気配を――魔法の気配を探す。王宮内にはいない。王宮にいる限りは気配を見失うことなんてない。その自信がある。
魔法で居場所を探し出すなんて好まないことだけれど仕方ない。
王宮内に見切りをつけて、さらに魔力を薄くのばす。薄く薄く薄く。
王都中をまんべんなく探すように。
ごっそりと魔力が流れ出し、体が重くなったような気がした。それでもなお呪文を唱え続ける。
しばらくそうして、王都にも見切りをつける。物理的に王宮から出て王都を抜け出せる時間なんてない。でも魔法の気配を感じない。
「……寝殿――」
そう結論づける他はなかった。
何があったかはわからないが、姫様に何かあったならばどうすればいいのだろう。
なにもないものとたかをくくっていた自分が憎らしい。
窓から離れて走りはじめるといっそ体は軽かった。魔力の使いすぎより何より、姫様の無事を確かめなければ。
仕事だからじゃない、義務でもない。自分がそうしなくては気が済まないから走る。
エルラに見つかったら説教を食らわされそうだが、彼女だって姫様の身に何かがあったとすれば走らないわけにはいかないに違いない。
「ちょっと、貴女っ」
自分を毛嫌いしている侍女仲間が声をかけてくるが立ち止まることなんてできない。
「今はかまっている暇がありませんの」
彼女の隣を走り抜けて、そのまま立ち去る。何かぎゃんぎゃんいっている声が聞こえたが、そんなことをいちいち聞いている場合じゃあないのだ。
走り続けて、ようやく庭に出て、最短のコースを選択する。
行く手を阻む茂みも服の汚れにかまわず突っ切って。
急いできても寝殿までは十分ほどはかかった。
入り口の扉が開いている。辺りに人影はない。そういえば博士が出かけているから朝からエルラは説教に突入できたのだった。
他に異常に気づいてもここまですぐこれる者はいなかったのかもしれない。
まれに神殿に参ったあと寝殿に足を延ばし見上げる者もいるが、いまはそんなものもいなかったのだろう。
寝殿の入り口が開いていることに誰か気付いていたら大騒ぎになっているだろうから。
「幸い、ですわね」
呟いて、フィニーはなんの抵抗もなくその中に入り込んだ。
不可侵の場所であるとかないとか、彼女にはどうだっていい話だった。
後ろ手に扉を閉め、手をそっと伸ばし呪文を唱える。
数秒もせず、手を伸ばした先にうっすらとした光明が現れた。ぼんやりとした光が暗い寝殿内を照らす。足下がわかる程度のほのかな明かりで、フィニーは足跡を見つけることに成功した。
ほんのり積もった埃に足跡が残っている。
それがどうやら一人のものではないと悟って、フィニーはため息をもらす。
「エルラでしょう」
足跡は両方女性のもののようだし、姫様を捜していたのは自分と彼女の二人だけだった。
エルラ以外の何者かだということは考えがたい。
エルラが近くにいるのかどうか探ることも可能だが、それは通常の場合ならであって今の状況ではできない相談だった。
姫様を捜すことが先決だし、エルラが姫様と共にいる確率が高いのならば余計な力を使うことこそ避けたい。
フィニーは再び呪文を唱えて、今度はふわりと浮かび上がった。
床のすぐ上を滑るように竜の石像に近づき、近づいてからその体の線に沿うように上昇する。
一体の竜の顔の近くまできて、自分についてきた光が柔らかくその顔を照らすのを見ると、彼女はちょっと顔をしかめた。
落ちくぼんだ眼窩が痛ましい。
異常な気配は、この寝殿からしたのだ。いかに眠っているとはいえ、その膝元でそれは起きたのだ。
一瞬にして空間を移動することは、魔法で理論的に可能であるとされている。もっとも強力な魔法を使えるのは神で、その神は空間を自由に移動することができるのだから。
だが不可能ではないが、それは人にとって実用化された技術ではない。それを研究するものもいるのだろうが、実用化したなんて聞かない。
それよりも確実に、姫様が消えた原因となりえそうなものがあるのだから他の可能性は除外してもかまわないはずだ。
竜に手を差し伸べる。
柔らかな動作で両腕を上げて、フィニーは口を開こうとした。
だが口にしようとした言葉は生まれることなく消えた。
異常な魔力の気配が再び広がりはじめている。
その大きな力に翻弄されて、なすすべなく彼女は落下した。最後の最後、床に激突する寸前で体勢が取り戻せたのは僥倖と言うべきだろう。
ぺたんと床に腰を落とす。埃がふわりと舞った。服の汚れのことが頭をよぎったのは一瞬のことだった。
魔力がどんどん大きくなってきている。
同時に、鈍い痛みが頭を襲ってきたから、汚れになど気にしている場合ではなくなった。
頭を押さえて、痛みに耐える。それが止んだのは辺りから異常な魔力がなくなるのと同時だった。だが代わりにどっと疲労感が訪れる。
立ち上がるのも苦痛で、彼女はふぅと息を吐いた。頭痛は去ったけれど、頭痛が発端で彼女に残ったのはあまりうれしくない事実だけだった。
よろよろと竜を見上げる。
高いところから彼女を睥睨する竜は、威圧感に満ちていて何でもできる万能の存在に見えた。
それは事実ではない。事実であるならばこんなところで長い間体を休める必要などないだろう。
内心冷たく吐き出すと、ゆっくり立ち上がる。頼るべき人の名はいくつか浮かびかけ、形になる前に消えた。頼りたくてもこの場にいなければ意味がない。
髪を掻き上げながら、とりあえず休もうと思った。魔力の消耗は大きすぎたし、疲労感も大きすぎる。少し休んで落ち着いて考えないととんでもないことをやらかしそうだった。
ゆっくりと振り返る、その途中で彼女は動きを止めた。
「あ……」
気付かなかった。
その小さい呟きに、声もなく竜を見上げていた二人が彼女に視線を向けた。
レスティー・エルムスランドとエルラ・レッツィ。
彼女の大事な人たちだ。
驚いた顔をする二人に、彼女は疲労を忘れて駆け寄った。
2004.06.01 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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