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四章 5.その呼び名を

「じゃあ仕方ないですねえ」
 納得のいかないエルラには気付かず、レスティーはさらりと受け流す。
 姫様のようにはエルラは納得できない。というか、レスティーが納得すること自体信じられなかった。
 そこで納得するのが、実に姫様らしいんだけど。
「まあ、実際あったんだから仕方ないが……私たちが過去に行ってしまうことがあるとわかってるのなら、教えてくれていたらよかっただろう。貴方がフィニーなら、いくらでも言う機会があったろうに」
 レスティーとエルラが二人して過去へ行ってしまったこと、そこで英雄王と双子竜に出会ったこと、帰ってきたらきたでそこに双子竜の片割れがいたこと――その片割れが実は侍女兼護衛だったこと。
 起こってしまったことは仕方ないと、諦めながらため息と共に愚痴る。
「無理ですわよ」
「なぜだ」
 愚痴の返答は、淡々とした口振りでの否定。だから思わずエルラは語気荒く彼女を睨んだ。
「理由はいくつかありますわ。第一、実際起こってみないことには貴女は信じないでしょう?」
「うっ」
 冷静な反論は実際ありそうなことだったのでエルラは言葉に詰まる。
「それ以上に、過去の者が未来を知ることはタブーですわ。だから、時の神は図らずも未来のことを知ってしまった者の記憶に蓋をかぶせます」
「は?」
「約千五百年前、私とお二人は確かに出会ったけれど、つい先ほど二人が戻られるまで、そのことは覚えていなかった、ということですわ」
「どういうことだ?」
「時の神が定めた法則ですの。ですから私も、レクトも――そしてナーインアクダも、遙か先の未来のナーインアクダの子孫に出会ったことは今の今まで忘れていました。だから語ることはそもそも不可能だったのですわ――知っていれば、こんな事にはなってませんわよ」
 彼女は憤懣やるかたない調子で吐き出す。それから気持ちを落ち着けるためにだろうか、お茶を飲んで深呼吸する。
「こんなこと?」
 話についてこれていないきょとんとした顔のまま、顔にクエスチョンマークを増やしながらレスティー。
「知っていれば、姫様の気配が消えたからといって慌てることはなかった。慌てなければ魔力を消費するような真似をせずに、落ち着いてお帰りをお待ちすれば良かったんですもの。そうすれば――正体は知られずにすみましたわ」
「フィニーは竜さんだってことを知られたくなかったんですか?」
「つまり、それを知らせるつもりはなかったのか?」
 レスティーとエルラの声が重なる。そのどちらにも彼女はうなずいた。
 エルラはうなった。聞きたいことも聞いたこともいろいろあるが、満足な返答はあまり返ってこない。
 それでも、どうしても聞いておかなければならないことはあった。
「どうして姫様のおそばにいたんだ?」
「姫様が好きだから、とお答えしましたわよ?」
 エルラは、じっと彼女を見た。その瞳の奥の真意を見透かそうとするかのように。
「それだけで、眠って力を回復させている竜が、余計な力を使って外に出てくる理由になるのか?」
 彼女は苦笑した。
「痛いところを突きますわね」
「他に、何か理由が?」
 それはエルラにはとても重要なことだった。
 視線に力を込める。
 エルラ・レッツィは姫様のことをとても大事に思っている。フィニー・トライアルは同じく姫様を大事に思っている同志だと思っていた。この数年間。
 それがもし違ったというのなら、裏切られた気分になる。
 それが重要なことの一つ。
 でも、もう一つ気になることがある。
 かつて彼女たちがなした封印は不完全で、魔物が少しずつ封印から逃れているのだ。
 彼女が動き始めたのがそれが原因だとしたら、フィニー・トライアルの裏切りどころの話ではない。
「他に理由がない、と言えば嘘になりますわね。でも――目覚めて動くだけでよければこの王宮内のどこにいても私はかまわなかった。それでも姫様のおそばを望んだのは、私が姫様のことをとても好きだから。それじゃあ納得していただけないかしら?」
 じっと見つめ合う二人を間に挟まれたレスティーは心配そうに見ていたけど、彼女の言葉が終わると同時に動いた。
 片方でエルラの腕を取って、反対で彼女の腕を取る。
 そしてぎゅー、っと二人を引き寄せた。
「私は、エルラもフィニーのことも大好きですよ?」
 そして二人を交互に見つめる。上目遣いの、心配している瞳だった。
「ええ、私もエルラは好きですわ」
 それにいち早く反応したのは彼女で、エルラも慌ててもちろんだとうなずいた。突然のことにエルラが目を白黒とさせているので、珍しくてレスティーは思わず微笑んだ。
「喧嘩は駄目ですよ?」
「喧嘩じゃありませんわ、姫様」
 笑みを消してレスティーが二人に注意する。その返答を聞いてレスティーはむーっと顔をしかめた。
 二人の腕を放して、きろりと睨んだのは返答をよこした相手。
 いつの間にかものすごく不満そうな顔になっている。
「フィニー」
「え、あの、本当に喧嘩じゃありませんわよ?」
 レスティーが怒るなんて滅多にあるものじゃない。名前を呼ばれた彼女は慌てた。
 その慌てっぷりが、まさしくフィニーだったのでエルラもようやく本当に彼女がフィニーだと認める気持ちになった。
 レスティーのことが好きなのも、きっと本当だろう――この数年彼女を見てきたのだから、その自分を信じようと思う。
「姫様、喧嘩したわけじゃないですから、安心して下さい」
 エルラはフィニーをかばうように口を出したが、珍しいレスティーの怒り顔に言葉を止めた。今まで見たことのない表情だ。
「嘘ついたんですね?」
「えええええっ」
 フィニーはいきなりの言葉に素っ頓狂な声を上げた。
 もしかして今更さっきの話の内容を飲み込んだんだろうか――スローモーな姫様ならあり得る。
 あり得るけど、あまりに突然すぎる。
「姫様、あのう、えっと、あのですね? 騙そうとかそういう訳じゃなく――」
「また言ったー」
「えええ、何をですか?」
 今度は泣きそうな顔になるレスティーに、フィニーは心底困った顔になる。
「さっきは……」
 じーっと、何かを訴えるような顔つきでレスティーは呟く。泣きそうな、消え入りそうな声だった。
「さっきは?」
「さっきは名前で呼んでくれたのに……竜さん……」
 レスティーの声がよく聞こえるように、彼女に近付いていたフィニーの動きが固まった。
 何事にも動じそうになかったレディアという竜の化身が、姫様に甘いフィニー・トライアルを彷彿とさせる表情であたふたしているところは見物で、エルラは思わず見入ってしまった。
 動きを止めた彼女は、きしむ歯車のようなぎこちない動きで瞬きをした。
「そ、そこですの?」
 かすれた声で呟く彼女に、レスティーは迷わずこくんとうなずく。
「だって、さっきは名前で呼んでくれたのに」
「う、ううう」
 彼女が困ったようにエルラに視線を向ける。
「そういえば、確かに姫様をお名前で呼んでいたな――しかも呼び捨てで」
 エルラはそう答えてやった。ささやかな意趣返しだ――相手がフィニーなのだから、その言葉は堪えるはずだった。
「ううううう」
 フィニーと彼女とはあまり似ていないと思ったけれど、困ったような顔になると彼女はフィニーそのもので、エルラは何故過去で出会った時にそのことに気付かなかったか不思議に感じはじめる。
 ――今思うとしゃべり方まで同じなのに。
「ようやく努力が実を結んだんですよ? それなのにまた名前で呼んでくれないの?」
「え、あの、それは、だから、ええっと」
 いきなりそのことに思い至ったのだろうか?
 喧嘩を止める前にも「姫様」と彼女は何度も呼んでいたのに。
 エルラが半ば呆れながら様子を見守っている中、フィニーは要領の得ないことを言いながら視線をさまよわせている。
「呼んでくれないの?」
 一歩レスティーが近付けば、じりじりとフィニーが後ずさりする。それを数度繰り返した後、根負けしたのはフィニーだった。
「わかりましたわ――確かに私は姫様を名前でお呼びしました」
「またいった」
 ぷうと頬を膨らませるレスティーに、彼女は疲れた笑みを見せる。
「レスティー様、とお呼びすることにします……この部屋の中では」
「ただのレスティーでいいですよ?」
「出来ません。そこは譲れませんわ」
 姫様に甘いフィニーの、それは珍しい抵抗だった。これまで何度言われても姫様と呼ぶことをやめなかった彼女の、最後の意地でもあるらしい。
「でも〜」
「姫様とレスティー様、どちらがよろしいです?」
 それは脅しているようなものじゃないかとエルラが思う。
「うー」
 レスティーはうなった。
「名前で呼んで欲しいです」
「ではレスティー様で」
 お互い譲歩した結果にまだ不満そうだったけど、フィニーの言葉にレスティーもうなずく。
「ええと、すっかり話が変わってしまいましたわね」
「いや、もういい」
 フィニーが言ってくるのに、エルラは首を振った。
「かまいませんの?」
「貴方がフィニーだということは疑えなくなったし、フィニーである以上姫様にとって悪いことはしないだろう」
「それは間違いありませんわ」
 フィニーは迷いなくうなずいた。
(それに、姫様の前で魔物や封印の話はできないしな)
 エルラは内心で続けた。姫様を不安にさせることはないだろう。あとで二人だけの時に、そのことは確認する必要はあるが。
 魔物の封印が弱まっているときに竜が仮の姿をとって動き回っている「他の理由」は問いつめる必要がある。大げさにすることはフィニーは望んでいないようだけど、理由によっては王に知らせる必要もあるだろう。
「すっかりお茶が冷めてしまいましたわね」
 そんなエルラの内心は知らずにフィニーは立ち上がると、お茶をいれなおすために動き始める。
 その様子を眺めながら、エルラははたと気付いた。
「ところでフィニー」
「はい?」
 ぱたぱた忙しく動き回るフィニーがエルラの呼びかけに顔だけを向けた。
「そろそろ勉強の時間だと思うのだが――私の時間の感覚が狂っていなければだが」
「……あ」
 フィニーの動きが止まった。
「そういえばもうそんな時間ですわね! 博士がお待ちですわよ――きっと」
「えー、もうそんな時間ですかああ」
 レスティーが心底嫌そうな声を出すと、フィニーは無情にもこくりとうなずく。
「お勉強は大事ですわ、姫様」
「また言った」
「……レスティー様」
 ため息と共に彼女は言い換えた。
「博士は忙しい方ですから、お待たせするのは悪いですわ――エルラ、申し訳ないけれど私はこの姿だから」
「承知した」
 エルラはうなずいて立ち上がる。
「さあ姫様、まいりましょう」
「うー」
 渋々レスティーは立ち上がった。
 姫様のお供は普段ならばフィニーの役目なのだけど、彼女の見かけがいつもと違うのだからそういうわけにはいかない。
「行ってらっしゃいませ、レスティー様、エルラ」
 フィニーも二人について、扉までついてくる。
「はーい、行ってきます」
 名前で呼ばれて、レスティーはご機嫌で部屋を後にした。

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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