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4.再会

 少しもリフレッシュできず、むしろ心におもりを負った私の午前中はさんざんだった。
 こんな有様では余計に変な噂が蔓延する――そう思えば思うほど、効率は上がらない。元彼の帰還に動揺した経理のお局が調子を狂わせているなんてことが三枝さんの耳に入ってしまったら、とても困るのに。
 終わらない仕事に見切りをつけて私は立ち上がる。やはり一度ゆっくりしなければ、頭が全然回らない気がする。
 昼休憩も少し過ぎて、オフィス内は閑散としている。伸びをした後立ち上がり、私は社食に向かった。一年に満たない短い間に何度も三枝さんと食事を共にした思い出の濃い場所――だからためらう気持ちが多々あったけれど、午後までの残り時間を考えると無難な選択だと言い聞かせる。
 食事の載ったトレーを受け取って、足が自然に向かうのは三枝さんと出会う前から気に入っていて、その後も思い出のある場所としてさらに大切なところになった奥まった席。
 ぼんやりと三枝さんのことを考えながら歩いていたから、気付いた時は幻覚でも見たのかと思った。
 奥まった席の近く、窓際の端の席に三枝さんが座っている。
 驚いて足を止め、本当に本人か私はまじまじと彼を見てしまった。二人掛けのテーブルには手をつけていない食事。座ったその人は頬杖をつくようにしながら気怠げに窓の外を見ている。横顔は間違いなく三枝さんで、気怠いその様子も仮面をかぶった時の彼そのものだった。
 じっくり確認してしまってから、私はようやく我に返る。ここまで来て、三枝さんの存在に気付いたのに違う席に向かおうとするのはどうなんだろう――人目を気にしてしまう自分が嫌になる。
 どれくらい立ち止まっていたのか自分でもわからない。仮に思ったより短い時間であったとしても、私が三枝さんに気付いて立ち止まったことが誰かに気付かれているのなら、今更他の席に向かうのは不自然だ、と思う……たぶん。
 元公認の仲の、いい大人の二人なんだから。三年ぶりの再会に久しぶりと笑ってランチするくらいありそうだった。
 でも、三枝さんは思い出のある奥の席じゃなく、好きでなかったはずの窓際の席に座っている。その事実だけで、なんだか悲しくなってきた――だって、空いている奥の席に座らないだけで三枝さんが本当は席にこだわりがなかったってわかるじゃない。
 本当につきあっていたわけでもない、ただカモフラージュとして利用しただけの私のことを三枝さんが覚えている可能性はこれでゼロになったも同然だった。
 人目を気にして彼とランチを共にするためだけに、何食わぬ顔で「ご一緒していいですか?」なんて、私には言えない訳で。結局のところ、私は人目を気にしないふりをしていつもの席に向かうしかない。
 だって他の席が空いているのに、相席を頼むなんて変な人だと思われる。
 大丈夫、大丈夫……私のことなんて誰も気にしているわけがない。自意識過剰にもほどがあるんだから。
 自分自身に言い聞かせて、まずトレーをテーブルに置こうとしたその瞬間。気にしまいとしてもどうしても気になっていた三枝さんが、不意にこっちを向いたのがわかった。
 ドキリとしながらも気付いていないふりで予定通りトレーを置こうとした私は、三枝さんが過たず私の名を呼んだものだからうまく置けなくなってしまった。
「畑本ちゃん」
 そう声をかけられた瞬間トレーがバランスを崩し、やや斜めの角度でテーブルに当たり、ガチャリと音を立てる。トレーがというよりはお皿が傾いで、おかずは端に寄ってしまったしお味噌汁が少しこぼれた。
「わ、うわ、悪い」
「あー、いいえ、どういたしまして」
 気怠げな表情が一転して、三枝さんはひどく申し訳なさそうな顔になる。自分でも何言ってるんだかと思いながら私はぼそぼそと呟いた。
「驚かすつもりはなかったんだけど」
 何とも答えにくい言葉に私は曖昧に笑うほかない。
 まさかあなたが私を覚えているとは思わなかったんです、とは言いにくくて。
 考えてみれば、優秀な営業マンである三枝さんは人の顔を覚えるのが得意なのだろう。覚えてもらえていただけで少し気持ちが浮上するから、恋心とは不思議だ。
「外を見ているようだったから気付かれるとは思ってなくて、びっくりしました」
 私はあの頃三枝さんとどんな風に話していたっけ――そう思いながら何とか言い繕うとそうかと三枝さんは笑った。
「窓に影が映るから気付くさ。相席してかまわない?」
 願ってもない言葉に私がこくりとうなずくと、三枝さんは落ち着いた所作で自分のトレーを持ち上げて私の真向かいに座る。
 それだけで、かつてないほど胸が高鳴るのが自分でわかった。
「お久しぶりです」
「うん」
 久々過ぎて何を話していいのかわからない。三枝さんもそれは同じなのか言葉少なにうなずいた。
「――畑本ちゃんは相変わらずこの席が好きなんだね」
 丁寧にいただきますをして食事を開始した三枝さんが、ややしてしみじみと口を開いた。
「ここに座るのが習慣みたいになってしまって」
 三枝さんとの思い出の場所だからという真の理由だけをぼかして私はそれに答える。
「三枝さんが窓際なのは珍しいですね?」
 ついでに冗談めかして問いかけると三枝さんは困った時の顔をする。
「いやあ、ねえ?」
「ねえと言われても」
「この街も変わったなーって思って、なんとなくね」
「そうですか?」
 三枝さんが懐かしいものでも見るようにさっきまで見ていた窓の外を見るので、私もその視線を追ってみる。でも、私にはさっぱり三枝さんが感じた変化がわからなかった。
「ずっといるとわかりにくいのかな? ほら、あそこのビル」
「ああ、そう言えばあそこは新しい方かな――三枝さんがいた頃は建ってなかったですっけ?」
「あんな高いビルじゃなかったな。うーん……なんだったっけ」
 三枝さんは小さく首をひねった。
「私にはさっぱり」
「あー、ほら、ガソリンスタンドじゃなかったっけ? 夜すぐ閉まる感じで、やる気がなさそうな」
「うーん、車に乗らないからなあ」
「営業で遅くなった時に、次の日も早いからあらかじめ入れようとしたら閉まってることが何度もあってね。そういうことしてるから顧客が逃げたんじゃないかな」
 三枝さんはぶつぶつ分析した後、すっきりした顔で食事を続ける。
「よく覚えてるなあ」
 私には記憶のないことまで覚えている三枝さんだから、私のことを覚えているのは当たり前のことのようだった。三年間のブランクを感じさせない言葉に、私は肩の力を抜いて呟く。
 なんとなくぐるりと見回しても、社食の印象は昔とそう変わっていないように思う。三枝さんが見ていた外の景色はこの席から見えないけど……三枝さんがさっき指摘したように細かく変わっているのかもしれない。
「そんなに変わってるかしら」
 実感できないので思わず呟くと、三枝さんはこくりとうなずいた。
「小さな違いの積み重ねなんだろうけどね」
「そうかぁ」
「変わったものばかりだと思ったけど、でも変わらないものもあったな」
 思い直したように三枝さんはあっさり前言を翻す。
「変わってないもの?」
 小さな違いの積み重ねなんて言われたら、それは何にだってあるんだろうなあと想像つくんだけど。変わっていないものもあるなんてなんだか矛盾している気がする。
 話の種にと問いかけると三枝さんはなぜか言葉に詰まった。
「うーん、説明は難しいなあ……」
「そっかあ」
「ちょっと時間がかかるから、また今度でいい?」
 次の予定を確認したのか、腕時計をちらりと見た三枝さんはそう言ってくる。
「帰ってきたばかりで忙しいのに、いいですよ」
「いやいや、しばらくは引き継ぎメインでそうでもないから」
 遠慮する私に微笑みをくれて、三枝さんはスマートに立ち上り社員食堂から去っていってしまった。

2008.02.19 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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