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5.気軽に夕飯を

 少し浮上した午後は午前中より効率的に仕事をこなしつつも、三枝さんも忙しいだろうにいいのかなと頭の隅っこで考えていた。
 それなのに定時少し過ぎになんとか一日のノルマをこなせたのは奇跡に近いと思う。
 ミスがないかを軽く確認し、首をこきりと回すと疲れがたまっているのかコリコリと体の奥から耳に響いてくる。
 書類をまとめてしまい込み後は帰るだけになってから、ようやくランチタイムの三枝さんの言葉の、本当の価値に思い至ることが出来た。
 また今度――三枝さんはそう言ったんだった。
 聞き間違いではなく、はっきり、そう言ったはず。
 それって、つまり……また三枝さんと一緒にお昼を過ごすことが出来る、ってこと……だよね?
 三枝さんに覚えてもらっていただけじゃなくて、不確定だけれど次の約束までもらえたのは私にとって大きいことだ。それだけで踊り出したいような気分になって慌てて自制した。だってそんなのは経理のお局らしくない。
 何で早く気付かなかったのか責める自分もいれば、早く気付いていれば午前とは別の意味で仕事にならなかっただろうと冷静に判断する自分もいる。
 結果オーライということだろう。週初めだけど少し羽目を外したい気分だった。弾みそうになる足取りを押さえて、私は足早に会社を出ることにする。
 羽目を外すと言っても、そうたいしたことはできない。せいぜい、どこかでおいしいケーキを買うくらいだ。さてどこにしようかと検討している間に会社の玄関までたどり着き、少し思案する。
 さてさて、どの店にしようか――社会人になってから給料日にはほぼ毎回ケーキを買っている。だからオフィス周辺のケーキ屋事情にはちょっと詳しいつもり。
 予定外に思い立ってのことだから思い浮かんだ候補が絞りきれなくて、帰り道の途中のどこかで買おうと歩き出す。今日はまだ月曜日、今週もまだ長いから帰りが遅くなるのも避けたい。
 そうして少し歩いた時のことだった。後ろから声をかけられたのは。
 驚いたのはその声が疑いようもなく三枝さんのものだったから。恐る恐る振り返ると、つい数時間前に久々に会話したばかりの彼が大股で近付いてきている。
「三枝さん?」
「やあ」
 思わず問いかけると、のほんとした笑顔で三枝さんは片手をあげる。
「ちょうど見たような後ろ姿を見たから。畑本ちゃんは今帰り?」
「ええ」
「ちょっと、時間がとれる?」
「はい?」
 あまりにさらっとした口ぶりで三枝さんに問いかけられたから、対する私は間の抜けた反応になった。
「時間?」
「そう、昼の話の続き、せっかくだから」
「せっかく?」
「せっかく会えたし?」
 珍しくもその言葉は、三枝さんにしては説得力の欠片もない。
「週初めだし、思いつきだから駄目なら駄目でいいんだけど」
「……や、あの、ええと、今からですか?」
 ぼうっとらしくない三枝さんを見ていた私は、ぼそぼそと言って意見を引っ込める彼を認識してはじめて思い至って問いかける。
「あ、や、嫌って訳じゃないんですけど」
 言い方がまずかったかもと慌てて言い添えると、三枝さんは少し目を見張った。
「君さえかまわないなら、今から少しでも?」
 願ってもない言葉に私はこくりとうなずいた。
 今度こそ本当に踊り出しそうな足を宥めながら、私は先導して歩き始めた三枝さんを追う。
 すごく不思議な気分だった。隣り合って歩く訳じゃないけど三枝さんと一緒に町を歩くなんて。幾度も想像を重ねたけれど、実現するなんて全く思っていなかったから。
 現実は想像ほどロマンティックなものではないけれど、贅沢なんて言えない。実現しただけで夢のようだった。
 どこに行くつもりなのか、久々のはずの町を三枝さんは迷いなく進んでいる。四年で変わったとお昼には言っていたけど、町の区画が丸ごと変わった訳じゃないから迷いようがないのかな?
 もしかすると、転属前に引っ越しか何かで早めに戻ってきて確認済みなのかも。
「どこに行くの?」
 三枝さんは問いかけに振り返るものの、顔に浮かべた笑みで受け流してしまう。私がそれで誤魔化されるってわかってるのかと想像してしまって内心は複雑だった。
 でも浮いたり沈んだりの道中は思ったほど長くなかったと思う。たどり着いたのは会社からそう離れていないカフェだった。三枝さんが慣れた足取りで店内に入るのについていく。店員の案内もなく三枝さんは奥まった席に座るよう私を促す。
 落ち着いた色合いで整えられた静かなカフェで、もうすぐ夕飯時なのもあってかお客さんもほとんどいない。
「どうせだから軽く食べようかな」
 ドキドキしているのは私だけのようで三枝さんはのんびり呟くとメニューを手にとってじっくり見ている。
「無難にミートスパかな。畑本ちゃんはどうする?」
「え、ええっと……」
 差し出されたメニューを受け取って、私は慌ててそれを繰る。とはいえ、メニューに迷う必要なんて全くなかった。
 高鳴る心臓を止めるのには、紅茶の力に頼る必要がありそうだった。
「ミルクティーを、ホットで、かな」
「それだけ? 畑本ちゃん腹減ってない?」
「あー、じゃあ、ケーキセットにしようかな」
「それは夕飯にはならないと思うけどなー」
「や、えっと、晩ご飯にはならないけど今日はケーキの気分で買って帰ろうと思ってて、せっかくだから?」
「俺が引き留めたのが悪かったか……あー、じゃあ予定変えようか」
「え?」
 三枝さんは店員を呼ぼうと挙げかけた手をすっと下ろして立ち上がった。
「三枝さん?」
「夕飯前にデザートはなんだか申し訳ない」
「問題ないですよ?」
「いやいや、どうせならちゃんと夕飯食ってこう」
 ほら畑本ちゃん――促されて思わず私は立ち上がったけど、入るだけ入ってそのまま出るのは気が引ける。どう思ってるだろうかとカウンターの奥を見ると、マスターらしき人が私たちの動きを観察しているのがわかった。
「あの、三枝さん、入るだけ入って出ちゃうのはちょっと……」
「大丈夫だよ」
 おずおずと呟いても三枝さんは平気な顔。私がさっき見たカウンターの方に視線を向けて「すんませんー」と声を上げる。
「マスター、また今度来ますんで。今日はごめんなさーい」
 三枝さんの声は耳障りでない程度によく通る。カウンター奥のマスターはやれやれと言いたげに肩を軽く上げた。
「そん時は二回分注文してくれや、三枝君」
「もちろんですよ。ほら、問題ないよ」
「……三枝さんのお知り合いでしたか」
「というか、ウチの社のお得意さん」
 驚く私にけろっと真実を告げて三枝さんは店を出る。私は慌てて後を追った。
「お得意さんって、入って出ちゃうなんてして気を悪くしちゃったりしたら!」
「だいじょーぶ。あの人心は狭くないし、面白がってるから」
「全く面白がってそうじゃなかった気がー」
「後でちゃんと顔を見せたら問題ないよ」
「でも」
 結局いいからいいからと笑う三枝さんに誤魔化されて、私は大人しく彼に従った。
「イタメシでさ、食後にデザートがいいところがあるから」
 悪いと思っているのかどうなのか、今度は目的地を教えてくれる。
「今のカフェのミートスパもうまいけど、本職には負けるんだな。昔――いつだったか行った時に、大喜びの女子がいたから間違いはないと思う」
「へえ」
 それはもしかしてデートで行ったってこと、なのかしら。気になって仕方なくても聞けるはずなんてない。
 昔、ということは最近でなくて、三枝さんの言う昔はおおよそ五年から四年前の話だから――仮にその頃プライベートでつきあっていた彼女がいたとしても、今はつきあっていないんだろうけど。
 私なんかと夜、気軽にご飯を食べようなんて言うんだから。

2008.02.23 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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