IndexNovel遅咲きの恋

6.目的の中身

 ともすれば落ち込みそうになる自分を慰めながらとにかく歩くとすぐに目的地にたどり着いた。カフェからその店までは五分と歩かなかったと思う。
 店の前に黒板が立っていて、可愛い文字でメニューが記されている。角地に立つ灰色のビルの一階に入っているテナントで、店の前に置かれた鉢の中で手入れされた植物が無機質な印象を和らげようと努力しているようだった。
 三枝さんは扉を押して店に入っていく。月曜だからか、やっぱりそんなに人が多くない。それでも半数ほど席が埋まっていて、三枝さんがおすすめするようにデザートがおいしいからか、会社帰りに立ち寄ったような女の子グループの姿も見えた。
「あら、三枝君」
「ご無沙汰してますー」
 忙しく動いていた店員さんが驚いたように私たちに近付いてきて、三枝さんは明るい声を出した。
「噂じゃ聞いてたけど、いつ帰ってきたの」
「先週末に戻ったばかりで」
「そうなんだ。あら……いやだ、三枝君一人じゃないのね」
 三枝さんの後ろにいた私に店員さんは遅れて気付いたらしく、ごめんなさいねと会釈されてしまう。
「オーナーの奥さんなんだ。ここもウチの社のお得意さん」
「三枝君にはお世話になったのよー」
 にこにこと店員さん――奥さんは笑って、こちらにどうぞと案内してくれた。
「あー、奥の席でいいですよ」
「たまには窓際にも座りなさいな」
 三枝さんの主張も得意先の奥さんに勝てるほど強くなかったらしく、窓際の席に向かい合わせになる。
「そんなに景色はよくないけどね」
 確かに外を見ても道路を挟んでビルが見えるだけだったけど、入り口とは違う方向にある出窓にインテリア雑貨が可愛くディスプレイされてセンスがいい。
 思わずほぅっと感嘆のため息が漏れてしまった。
「奥さんの趣味なんだよ」
「埃はたまるし、手入れは大変だけどね」
 奥さんはメニューが決まったら呼んでねと言い残して厨房へ歩き去る。
「レディースディナーがいいよ。パスタと主菜が選べて、食後に小さいデザートがいくつかつくはずだから」
 三枝さんはメニューの間からすっとコースメニューを取り出して見せてくれた。じゃあそれでとうなずくと三枝さんは水を持ってやってきた奥さんに注文を告げた。
 私はそれぞれ三種類の中からパスタと主菜を選んで奥さんに告げる。三枝さんが選んだのは別のおすすめコースだった。
「できるだけいいものを、出来るだけ安い値段でがコンセプトなんだって。食材の質の割に価格設定はリーズナブルだから人気はあるんだけど、経営はかつかつのようでね」
 営業に入っていただけあってか、三枝さんは内情に詳しいみたい。奥さんがいなくなるとそう教えてくれる。
「そうなんだ」
「生きていけるだけ稼げればいいって奥さんが気楽に構えてるのがすごいんだ。それはそうだけど、なかなかあんなにどーんと構えてはいられないよ」
 確かにそうかもと私はうなずいて、奥さんの背中を見る。どーんと構えてるという印象からほど遠い細い背中だ。
 コスト削減の一環なのか夫婦二人きりで営んでいるらしく、店内は奥さん一人で切り盛りしているらしい。忙しく動き回る奥さんを横目に三枝さんは海外赴任中の話を沢山してくれる。割合としては最近の話が多かったけれど、言葉があまりわからない頃戸惑った話が特に面白かった。
 相変わらず、三枝さんの話にはぐいぐいと引き込まれる。きれいに盛りつけられた料理が順に出てきて、それに舌鼓を打ちながらのことだから余計に時間を忘れてしまいそうだった。
 大きめの白いプレートに盛られたデザートが出てきた時はもう終わりに近いんだと残念に思ったくらい。でも、時計を確認すると店に入ってから一時間は経っていてびっくりした。
 楽しい時間が過ぎるのが早いのは本当のことなんだと実感しながら手をかける。本当はじっくり時間をかけて食べたいところだけど、お皿の端っこに乗ったジェラートがそうはさせてくれない。せめてケーキとパンナコッタはゆっくり食べようと私は心に誓う。
「よかったら、俺のも食べる?」
 食後の紅茶とデザートをことさらゆっくりと征服していると三枝さんが不意に言った。
「や、そんなに食べるのは……食べたいけど」
「そっか」
 甘いものが嫌いというわけじゃないみたいで、納得したようにうなずいた三枝さんは溶けかけのジェラートをスプーンですくう。
「それで、さ」
 さすがの三枝さんも静かにデザートに向かっていたので話のネタがなくなったのかなと思ってたんだけど、私がケーキを半分ほど食べたところで彼は口を開く。
「昼の話だけど」
 口達者な三枝さんらしくなく、その言葉は妙におずおずしている。
「あ」
 私は言われてここに来た目的を思い出した。
 普通に三枝さんのお土産話を楽しんでいたけど、せっかく出会ったからお昼の話の続きをしようってことでこんな奇跡のような食事が出来たんだった。
「そういえば、変わらないものってなんだったの?」
 すっかり忘れていたけれど、とりあえず聞いてみる。時間がかかるって言ってたから今日はやめにして次の機会に、とでもなった方が本当はうれしいけど。
 三枝さんはスプーンを置いて、居住まいを正した。私はただならぬ雰囲気に緊張してごくりと息を飲んでしまう。
 何度か三枝さんは口を開きかけては閉じるを繰り返す。
「言いにくいならいいのに」
「いや、そのために時間をもらったわけだから」
「でも……」
 言いかけた言葉は「こういうのは先延ばしにすればするほど言いにくいから」という三枝さんの言葉で遮られる。
 それから彼は顔の前で腕を組んで、じっと私を見た。

2008.02.28 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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