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7.変わらないもの
「まあつまり、言いたかったのはさ――畑本ちゃんのそういうところは変わらないねってだけのことだったんだけど」
三枝さんはためらった割にはさらりとそう口にした。
「は……あ」
意外なことを言われた気がしたけど、考えてみると確かに三枝さんの言う通りだった。私は四年前からちっとも変わってない。仕事部署も変わらなければ、内容も当然変わるわけがなく、平日は会社で働いて帰るだけを繰り返している。
いろんなところが少しずつ変わっていると昼に言っていた三枝さんが、私が変わっていないと言う。少しも進歩していないと言われたみたいで悲しくて、私はうつむいた。
楽しかった気分が急降下して、落ち込んでしまいそう。
だのに三枝さんはそんな私に構わず言葉を続けた。
「だから――」
「……え?」
三枝さんが言ったことは耳に入ってきたけど、信じられなくて私は顔を上げて聞き返した。
「だから、うれしかったんだ」
三枝さんは私の目をじっと見たまま、もう一度そう口にする。
「うれしかった?」
しっかり聞こえても、内容がにわかに信じられない。聞き返す私に三枝さんははっきりとうなずいた。
「何もかも変わってしまったと寂しく思ってたら、変わらないで欲しいと思ってた人が変わらずにいてくれた、それがどれだけ幸せなことかわかる?」
「さあ」
そんなこと聞かれてもさっぱりわからない。三枝さんが私を気にかけていてくれたことを知って、私が幸せな気分になったのは間違いないことだけど。
三枝さんは要領の得ない私の返事に少し落胆したようだった。
「ともかく――俺は君が変わらずにいてくれたことがうれしいんだ」
彼はそう繰り返して、気持ち身をこちらに乗り出してきた。
「そうだったらいいなとずっと考えてた。半年の予定が一年になって、それが二年三年と長くなっていって、半分以上諦めてた」
三枝さんの言葉はらしくなくよくわからない。
「今日も休憩時間になっても君がなかなか現れないから、もう退職してしまったんじゃないかと思ってた」
「……キャリアアップできるほど優秀じゃないので取り越し苦労かとー」
「そういう意味じゃなくて。畑本ちゃんは本当に変わらないなー」
三枝さんは困ったような顔で身を引いた。背もたれにぐっと身をもたせかけてふうと息を吐く。
呆れられたんじゃないかって不安になったし、ますます悲しくなってきて、おいしかったはずのデザートが味気なくなった気がしてくる。
「わかってながら、はっきり言わない俺が悪いのか」
「何を?」
気分は死刑宣告を受ける前のよう。思わず強く握りしめていたフォークが手に痛い。出来ることなら続きは聞きたくない。聞きたくないけど……
「俺、畑本ちゃんが好きなんだ」
三枝さんは容赦なくそう口を開いた。
「は、え……。え、ええっ?」
「予想もしてなかった顔、だよなぁ」
だ、だって――本当に予想してなかったんだもの。
心の中では言えたけど、驚きすぎてちっとも意味のある言葉が口から出ようとしなかった。私はしばらく間の抜けた声を上げ続ける。
今、三枝さんは、何て言った?
好き――好きだって言った。私が好きだ、って。
「うそ」
ようやく出せたのは信じ切れない気持ちが結んだ一言で。
「嘘じゃないよ」
少し不機嫌な顔になった三枝さんはすぐさま言った。
「それが本当だから、口実をつけて食事に誘ったんだから」
重ねて言われても、にわかには信じがたい。
これまで何度も想像したけど、現実になるなんて思ってもなかったから。だからフォークをテーブルに置いて、夢じゃないかとほっぺたをひねってみる。
思いきり力を込めたらとても痛くて、引っ張るように放してしまってさらに痛さが募る。
その痛さが、これが間違いなく現実だと告げている。
「本当なの?」
目の前で頬をつねった私はさぞ間の抜けた顔をしていたと思う。それでも呆れた顔をせずに三枝さんはうなずいた。
彼が嘘をつくような人じゃないってことは、知っているつもりだった。だったら、これは間違いない話?
本当のほんとうに?
色気のある話に縁がない私と違って、三枝さんはもてるはずだ。そりゃあ打算にまみれた女性にも狙われてたと思うけど、優秀な三枝さんに純粋に心惹かれる人だっていたんだから。
「いつから、なの?」
浮かんできた疑問を吟味することなく口に乗せると、三枝さんは顔をしかめる。
「いつからって……出会って、まあわりと早いうちから?」
「うそ」
「だから嘘じゃないって。口実をつけて君に近付いたのだって下心ありだったんだけど――本人だけは気付かなかったよな」
はああと溜息を漏らした彼は大きく頭を振った。
「もう転勤はないって聞いて長期戦で構えてたら、突然の海外赴任決定だろ。どうしてくれようかと思ったぜ。少しでも色よい反応があれば婚約指輪でもなんでも差し出してさらっていこうと思ったのに、赴任の話をしてもあっさりスルーだったし」
こつりこつりと指でテーブルを叩きながら三枝さんは嘆息混じりに続ける。
「それでも前向きに一年近くへばりついていた俺がいなくなれば何か感じ取ってくれるかもしれないと考えてたら、三年も海の外だろ。半年じゃなかったのかと上に掛け合ってもなしのつぶてだし」
「はあ」
「こんなことなら日本を出る前に告白して玉砕しておいた方がどれほどましだったと思ったか。次の恋を見つけようにも変に気持ちを残してるもんだから思い切りもつかないし、国際結婚なんて想像したことさえないから対象が少なすぎるし」
三枝さんはいつになく早口だった。
「女々しいことだと自分で思うけど、三年――いや、出会ってからは四年だ。その間ずっと君のことが忘れられなかった。だから帰国が決定した時、もう一度君に会えたら――何があっても告白しようと決めてたんだ」
最後に力強く言い切られて、心臓が止まるかと思った。
三枝さんはまっすぐ私を見ている。
もう疑う余地なんて欠片もなかった。彼がここまで言い切るんだとしたらそれは真実に違いない。
なんと答えていいのか結論が出ないまま無為に時が過ぎ、三枝さんはそっと瞳を閉じた。
「――ごめん、畑本ちゃんを困らせる気はなかったんだけど」
どう答えようか迷っているのは事実だけど、困っているつもりはない。私はぶんぶんと首を振って、目を閉じた三枝さんが気付くわけがないと気付いた。
「困ってなんかないし」
「ならいいけど。悪いね、週明け早々変なこと言って」
「ううん。びっくりしたけど、変じゃないし……そう言ってもらえて、うれしい」
私はなんとかそう言って、話を終わらせようとする三枝さんの言葉を遮った。
三枝さんは言葉を止めて、一つ瞬きをした。
彼ほど滑らかにしゃべることは出来ないけれど、私は一生懸命話を続ける。
私も三枝さんが好きなこと。
それを三枝さんがいなくなってから気付いたこと。
そんなだからずっと忘れられなかったこと。
今日の昼、再会できてとてもうれしかったこと。
たどたどしくて、行っては戻るような私の長い話を彼はうんうんうなずきながら聞いてくれた。
「だからその……うれしかったです、とても」
ようやく落ち着いて飲み物に手を伸ばしたら、温かかったはずのカップがすっかり冷え切っていた。こくりと一口飲んで喉を潤すと、言い切った安堵感でほぅと息が漏れた。
恥ずかしくて三枝さんのことを直視できないけど、なんとかこっそり上目で様子を伺った彼はひどく満足げな顔をしていた。
「そっか……すごく遠回りしたけど、結果的に良かったか」
スマートにコーヒーカップをテーブルに置いた三枝さんはそっと居住まいを正す。
「だったらもう一歩踏み込んでもいいかな」
「踏み込む……?」
そう、とうなずいた三枝さんは手を伸ばして私の手をつかむ。
「お互いいい年だし――結婚を前提にお付き合いしていただけますか?」
突然のことに驚いたけど、私の答えは決まっている。
「――私で良ければ……喜んで」
遅くに気付いたこの恋がようやく満開の花を咲かせ、日の目を見る日が来た。もちろんこれが始まりで、これからいろいろあるんだろうけど……。
三枝さんは私の弱気を吹き飛ばすような言葉をくれたし、お互いの思いを知らないまま、お互いを想っていたんだから――きっと、きっとこの先はうまくいくに違いない。
そう信じてにっこり微笑むと、三枝さんも優しく微笑みを返してくれた。
2008.03.01 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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