IndexNovel遅咲きの恋

3.運命を感じて

「お前、お局と付き合いはじめたって?」
「どこで聞いた? そんなこと」
 ある時同僚に問われて、俺は驚いた。顔見知りになるまでに二ヶ月ほど、社食で交流すること数ヶ月。経理への書類提出と社食での交流のみで、俺と彼女の間には全くそのような盛り上がりはなかった。
 社員食堂のみの交流は俺にとっては逢瀬だったが、彼女にとってはただの休憩時間だということは俺自身が一番理解していた。業務中に見せない顔を俺の前では見せてくれる。だけどある一定のところで新しい顔を発見することは少なくなってきた。
 ――当然だろう。会社の同僚、気の抜けるランチ仲間。彼女のその認識が変わらなければ見ることのできない顔が多々あるに違いない。もう一段階進みたいのが偽らざる俺の気持ちだったが、そう簡単にはいかない。
 俺が胸のうちに秘める好意に彼女がまったく気づいていないのは目に見えて明らかなのに、冒険をする度胸は俺にはない。契約する気のまったくない新規客に契約印を押させるには、さまざまな根回しや条件付け、それにタイミングが必要だった。だから根回しを兼ねてそれとなく言葉に好意をにじませても気持ちいいくらいスルーされる。
 気を持たせたり自分を高く売りつけようなどという小ズルイ女の行動ではなく、真に全く、気づいていなかった。あまりのスルーっぷりに呆然とした俺は少しでも彼女が普通の女のようだったらと嘆きかけ、そうであったら主義を曲げなかったということを思い出してなんとも言えない気持ちを覚えた。世の中は、全部が全部うまくいかないようにできている。仕事の面では恵まれた俺も、好意を覚えた相手に苦労する運命の下にあるらしい。
 だけど運命もいたずらに俺を苦労させるようにはしていなかったのか、それまで半年か一年で各所を転々としていた俺はその時の本社勤務で基本はもう異動はないと内々に聞いていた。俺もそこまで若くなかったし彼女もそうだが、最近の風潮で言えばまだ結婚するのに遅すぎるというわけでもないと俺は気長に構えることにした。気を許されたことに安心してがっついて引かれてしまったら、もう二度と彼女は俺に笑顔を向けてくれないだろう。仕事の契約なら次の機会を狙えもするが、彼女に気持ちを打ち明けるのにそれはない。
 柄にもなく運命じみたものを感じていた俺は、慎重に彼女の心をこっちに引き寄せることに集中することにする。
 彼女に余計な虫がつかないように、俺に都合のいい噂は否定せずそれとなく煽り周囲を牽制する。他にも俺の経歴や若手の中では上位に入る営業成績にだけ目を向ける女があれやこれやうるさかったが、そちらは俺が彼女にベタボレだと判断するとそのうち簡単に他に目を移していった。
 社内において人との交流が少ない彼女もそのうち俺が煽った噂を耳にしたようで、困った顔をしていたこともある。だけど気にしないことにしたのかすぐに普段どおりになったので、少しは好意があるのだろうと俺はますます楽観的に構えた。
 休憩時間の逢瀬を月に半分は重ね、世間話を繰り返して彼女の生活サイクルを探る。好きな映画の傾向が似ていると知ってからは、いつ彼女を誘おうかとばかり考えていた。さりげなく自然に断れないように。一緒に見に行こうと真正面から誘っても、話をうまく持っていかなければ断られそうな予感がした。一人で見に行くのが好きだと聞いていたから、ほぼ確実に。
 気になる映画の試写会に誘うのが一番自然でうまい手に思えてチケットを手に入れるべく努力もした。ああいうのは大抵平日の夕方からある。試写会なら日にちが限られ、ペアだし、他に誘う相手がいないのだといえば興味がある映画になら彼女はついてきてくれそうだ。約束さえ取り付ければ、ついでとばかりに上映後に夕食に誘うことも不可能ではないだろう。
 健全な照明の下ではどこまでも健全な話しかできないが、洒落っけのある居酒屋で酒でも組み交わしたら少しは深い話ができるかもしれない。新しい状況に彼女のガードが堅くなる可能性も否定できなかったが、会社の外という状況は逆に緩む可能性も十分に持っている。この上もない誘惑に俺は情報を手に入れてはこまめに試写会のチケットを狙った。
 気にして探してみれば試写会の情報はそれなりにあるんだが、彼女の仕事が落ち着く時期でかつ俺の行けそうなタイミング、かつ好みのものとなれば数が限られる。限られた機会に飛びついてもそれがまあ、ことごとく外れる。往復はがきの返信には判で押したようにお決まりの残念ですがの文言。申し訳程度に割引券がついていたが、それでは意味がない。
 彼女は規格外で、俺の知るこれまでのパターンをことごとく外している。女のことでこんなに苦労したことはそれまでにはなく、他の手もろくに思いつかなかった。それだけガードが堅ければその気はないものとこれまでなら諦めていただろうが、諦めきれなかったのは彼女が職場では俺にだけ見せる素顔が魅力的だったからだろう。彼女にその気はなくても、俺だけにという特別感が諦めさせてくれないのだ。その上プライベートでも男の気配がないとくれば、簡単に諦めるわけにいかなかった。
 煮詰まった俺は人生経験豊富と見える顧客に相談を持ちかけたりした。友人は多いつもりだが、彼女との慣れ初めを聞かれ、コンプレックスについて口にしたら爆笑されるのが目に見えていて却下。今の同僚は俺と彼女が付き合っていると信じているので今更聞くこともできない。俺の将来を心配している節のある両親は、聞いた瞬間に暴走を開始しそうに思えた。
 仕事なのだから慣れあうべきではないが、こちらも懐を明かせばあちらも明かしてくれる。そんな打算がありつつも、俺は真剣に相談する。人情味あふれる喫茶のマスターは男なら玉砕覚悟で誘うべきだと俺に発破をかけ、イタリアンの奥さんは女の子の好きなことをこと細かく教えてくれた。俺は玉砕するわけにいかなかったし、せっかく授けてもらった知識も几帳面なほどに真面目な彼女にそぐわないように思えて、結局方針を変えることができなかった。
 彼女は真面目で、恋愛に興味があるように見えず、その上社内で特定の誰かと親しくすることを忌避しているように見えた。唯一の例外である立場を自分の告白で捨てる度胸を俺は持てなかった。駄目でも食らいつけばいいかもしれないが、自分の殻に閉じこもるようにして俺を避ける彼女が簡単に想像できる。世の中の女は彼女一人じゃない。他に目を向ければいいのかもしれないが――長いこと彼女を追いかけているうちにすっかり情が移ってしまっていて、振られてもそう簡単に気持ちを切りかえられない予感が二の足を踏ませる。
 慎重に慎重に少しずつ彼女の日常に溶け込んで、いつか俺の隣に入ることが自然であるように彼女に思わせればいい。変わらず試写会のチケットを狙いながら、俺はいつの日か彼女と社外で会うことを求めていた。

2008.10.28 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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