IndexNovel遅咲きの恋

エピローグ

 長年の念願が叶った交際は、どこまでも順調だった。お互いいい大人だし、我を通すような性格でもないからぶつかることもない。それは表面的な付き合いなんだろうかと時々不安に思ったりもしたが、彼女が俺にだけ見せる顔が増えたのでそうではないとすぐに思い切ることが出来た。
 彼女と一緒にいる時間は穏やかで、癒されて、楽しく。俺はすぐさま彼女を名実共に自分のものにしたくなった。最初に結婚前提と口にしていた自分を誉めてやりたかった。つきあって一ヵ月後耐えきれずにプロポーズすると、あらかじめ結婚前提の約束を取り付けていたけれど、さすがに驚いていたようだったが。
 一生のことだから、彼女の不安は大きいようだった。だけど俺の気持ちは今後変わることがないと誓って言える。短いつきあいで一生のことを決めていいのだろうかと悩むような思いやりのあふれる彼女を相手に、今後の生活がうまく行かないわけがない。離れていた間も想いあっていた現実を思い起こさせれば、すぐに彼女は几帳面に頭を下げてうなずいてくれた。
 お互いの両親も諸手を上げて賛成し、障害は一つとしてない。唯一彼女の控えめな性格だけが問題ではあるが、致命的なものではない。大それた式は必要じゃないという彼女を多数決で説き伏せて、周囲の人間に俺がどれだけ幸せでどれほど彼女が可愛いか世間に知らしめる日を心待ちにしている。
 式と入籍は同日に、出来る限り急いで行うことに決めた。彼女は真面目で、婚約後も同居をためらったからだ。お互いいい年で一人暮らしなのだし、融通を利かせてくれてもよさそうなものだったが乗り気じゃない式を同意させた負い目で譲歩した。その譲歩をもって、日取りは俺の意見を押し通した。休みのたびにお互いの母親と一緒に四人で式場をめぐり、よさそうで日付の近いところに決める。両親には急ぎすぎじゃないかと言われたが、プロがその日でも大丈夫だというのだから大丈夫に違いないと丸めこんだ。
 担当者に詳しく話を聞きこんでするべきことをリストアップし、休みのたびに消化していく。余裕を持った日取りじゃないので慌ただしいが、やってくる新生活のことを思うと楽しみでならない。新居も契約を済ませて、必要のないものから徐々に荷造りをはじめている。ある程度の家電や生活用品はお互い持っているのでどちらのものを持ちこむかも詰めつつある。基本は使う頻度が高い人間の意見が優先。迷うようなものは機能、新しさ、デザインを総合的に考えて決定する。唯一冷蔵庫だけは大きいものを新たに買うことにした。足りないものがあっても、一人暮らしのときに必要がなかったものはそう優先度の高いものではないだろう。
 ダブルサイズの布団も手配済みだ。キングサイズのベッドにもあこがれもあったが、さまざまな事情を鑑みて諦めた。部屋の広さが足りないし、そもそも俺は布団派だ。加えて彼女が恥ずかしがった。ダブルの布団で折り合ったのはいいが、正直シングルを二つ並べたほうが日頃の使い勝手がよかったのじゃないかと遅れて気付いた。が、意見を言った手前今更俺には何も言えない。布団を干す時には、率先して協力しようと今から思っている。
 そんなあれこれも大事だが。
 俺はコピー用紙を見下ろして、もう一度うなった。よくある、式の席次表の空きスペースに書く二人のプロフィールだの軌跡だのの原稿だ。席次表自体は今日の打ち合わせで担当者に相談しつつある程度詰めたが、宿題とばかりにA四用紙を一人一枚渡された。
 手作りしている時間もないので席次表は既製のデザインから選んで印刷をお願いしている。既製のものだから文字数の制限が厳しい上に、設問にかなり答えにくい。俺だって彼女のあれこれを人に自慢したいのは山々だが、後に残るものにコンプレックス云々は書きたくない。付き合うようになった経緯も、風評と真実があまりにも違いすぎるので――遠距離になるにしても遠すぎるので泣く泣く別れたが再会してすぐに元の鞘に収まったとか、密かにずっと続いていたのだとか思われているようだ――すべてを正直に書くにも問題がありそうだ。
 まさかこんな罠が待っているとは思わず、ろくすっぽ見もせずに受け取ってしまっていた。夕食を外で済ませて彼女と別れ、戻ってすぐにでも寝ることが出来るように風呂や歯ブラシも済ませたところで、食事中は他のことを話していたためすっかり忘れていた宿題を思い出して取りだし、設問を半分埋めたところで大きくつまずいた。
 プロフィールは簡単だが、初対面の印象だの、付き合うようになったきっかけだのはかなり難しい。俺にとってそうなのだから、奥ゆかしい彼女もこれを見たら困るはずだ。自分の両親にさえ説明を恥ずかしがっていたくらいだから、間違いない。取り繕うことも不可能ではないだろうが嘘をつくのも抵抗があるし、書きにくいとはいえ適当な言葉でごまかすことは真面目な彼女は嫌がるだろう。
 時計を見たら日付を超えてまではいないが人に電話する時間ではない。が、俺はためらった末に携帯に手を伸ばした。履歴の一番の彼女に電話をかける。三コール待って出なければ諦めるつもりが、二コールで彼女は反応した。
「もしもし」
「由希、俺だけど」
「どうしたの、こんな時間に。何かあった?」
 彼女の声は耳に心地よい。時間が時間だから何があったのかと不思議そうだったが、常識がないと怒ってはいない。これが付き合うということで、すでに彼女の日常にそれだけ食い込んでいるのかと思うと、答えがたい質問に沈みがちだった気持ちがたやすく上昇する。
 じかに顔が見えたら言うことがないんだが、カウントダウンは進むもののまだ式までは遠い。もう少し、と言い聞かせながら俺は彼女に用件を告げた。
「今日もらった紙? まだ見てないけど。ええと」
「プロフィールと、俺たちの初対面のときの印象やら何やらを書いて欲しいんだと」
「ええっ」
 息を飲んだ後でごそごそとかばんを探す気配。沈黙の後に、絞りだすようにううと彼女はうなった。 
「これ、書くの? もう友紀さん書いた? プロフィールはともかく、他は――その、ものすごく恥ずかしいことを聞かれてる気がするんだけど」
「俺もそう思う」
「そうよね!」
 彼女は勢い込んだ。声がうれしそうに跳ね上がり、そして。
「友紀さん。ねえ、こういうの、すごく困るんだけど――どうにかならないかなあ」
 すぐに懇願するように変わる。そういうおねだりはぜひ目の前でやっていただきたいところだが、そういうわけにも行くまい。式場に変更を要請するのは簡単だが、時間の猶予があまりない。直接顔を合わせて相談するにも限度がある。予定をやりくりすれば昼休憩にいくらか時間を取れるが――うかれて社員食堂で準備を進めるのは問題があるだろう。職場内だというストッパーが効く彼女が嫌がるのは目に見えていた。
 周囲に見せつけられるというのはとても魅力的なんだが、押し付けると余計なトラブルを招きかねないし。
「今、時間は大丈夫?」
「ええ。後は寝るだけ」
「この質問の中身を差し替えてもらうにしてもまた答えが書きにくいものが出てきても困るから、草案をつくって向こうにメールした方が確実だと思う。由希はどんな内容だったら恥ずかしさに耐えられる?」
 恥ずかしいの前提なのっと驚いたように声を張り上げる彼女はどんな顔をしているんだろう。きっと瞬時に顔を赤く染め上げているに違いない。ああ、やはり目の前で見たかった。
「そういう話が好きな連中もいるだろうからね。ある程度そういう情報を混ぜておかなきゃ、当日あれこれ聞かれる可能性があるけど――そっちの方がいい?」
 質問の返答は、遅かった。ためらい戸惑って迷うような息遣い。やがてううとうなる声がようやく聞こえる。
「私がどう答えるかわかってて、聞いたでしょう」
「まあ、大体は」
 仕事では表情を取り繕うのがうまい彼女なのに、私生活ではまったくそれができない。ポーカーフェイスが苦手だからこそ仕事のときは人一倍気を使っているというのだから恐れ入る。その反動でか、元々そうだったのか、プライベートの彼女はかなりわかりやすい。
 式はそれほど大規模ではないが、当然職場の人間も招いている。だけど割合は親族や友人が多い。それにプライベートの側面が強いから、誰かに尋ねられたら真っ赤になって答えを言い淀むだろうと思える。俺側の親族や友人と初対面であることを考えると人見知りの彼女が緊張で仕事モードに振れる可能性も否定できないけど。
 だけどそれはどうやっても阻もうと思う。仕事中の気を張っている彼女はいじましく思えるし嫌いじゃないが、何より魅力的なのは日頃の彼女だから。人生一度の大イベントは、一番可愛い彼女を隣に過ごしたい。休憩時間はメッキが剥がれがちだから、職場の人間がいても何とかなるのではないかと思っている。なりそうになかったら、耳元で何かをささやいて動揺を誘えば何とかなるかな。
「友紀さんはある程度そういう情報っていうののいい案はあるの?」
 複雑そうな声でもう一度うなった後、気を取りなおした彼女の問いかけ。
「いいや、残念ながら特には。由希がこれでもいいって言ったら、何とか書く気でいたし」
「そうなの?」
「字数制限もあるし、取り繕って書いたら何とかなる設問もあるね」
 設問の後にはカッコ書きで文字指定がされている。指定数の割には書くスペースが広い気はするが、オーバーするのは危険だろう。
「だけど、どうやっても答え難いものがあるよね。いつ付き合い始めたとか、嘘は書きたくないし」
「ええ」
 どうしようと問いかければ、どうしたらいいかしらと打てば響くような答え。結局時計の長針が一巡りするほどの間、俺たちは電波を介して妥協点を探る。
 同じことを俺が許容できても彼女が出来ないなど、意見をすり合わせるのは時折困難を極める。意見をぶつけ合うことはあるが、喧嘩するまでに至らないのはお互いに十分大人だからだろう。共に暮らし始めれば全くなしというわけにもいかないんだろうけれども。
 新しい暮らしはどんなものになるのだろう。俺に想像できるのは、それがとても幸せなものであるということだけだ。俺たちは生まれも育ちも違い、当然性格も違う。電撃結婚と言えるほど付き合った期間も短いので、知っているつもりでも知らないことが多いに違いない。素の彼女は何でも俺に教えてくれるし俺もそうしているつもりだけど、イレギュラーな問題が出てくることも考えられる。
 だけど、きっとうまくいくだろう。相手の気持ちを確認したわけじゃない不確かな状況で、お互い想いあっていたくらいの俺たちだから。何か問題があれば今回のように意見を交わせばいい。
「じゃあ、明日――いや、今日にでも向こうにはメールしておく」
「お願いします」
 議論の末に決まった案のポイントをメモしつつ確認して俺がそうまとめると、由希は眠気の混じる声で几帳面に言った。
「遅くに悪かった」
「ううん。早めに言わないと、変更できなかったら困るから」
「言っても変更可能かわからないけど……」
「友紀さんなら、駄目でもなんとか自分の要求を通しちゃう気がする」
「俺、君に無理させてる?」
 そうだとしたら問題だった。駄目でも自分の要求を通すなんて、そんな。さらっとそんな言葉が聞こえるのは聞き捨てならない。出来るだけ彼女の意見を尊重しているつもりだけど、それは俺の思い上がりだったろうか。
 ためらう彼女に結婚を承知させたりどうしても譲れないところは無理を言ったこともあるが、他はそんなに無理させていないつもりだけど。
「無理? そんなことはないよ。私の話をした訳じゃないし」
「本当に? 何か俺に不満があるなら教えてくれた方がありがたいんだけど。小さい不満の種が大きくなるのは困るから」
「ないない。不満なんて……身内だけでいいって言ったのに、大げさな式になったからこんな風に困ったりしてるんだろうけど」
「あー、それは悪かった」
 結婚式をするのは譲れないところなのでしょうがない。そんな機会でもないと一生彼女のドレス姿を見れないんだから。
「悪いと思ってないでしょ」
「俺は君の着飾った姿が見たい。それに大勢の人間の前で愛を誓いたい」
「友紀さん」
「そうでもしないと、由希はすぐに不安になるだろ」
「そんなこと」
「あるだろ?」
 沈黙の意味はおそらく肯定だった。彼女は未だに俺と両想いであることも、もうすぐ結婚することも夢のようだということがある。間違いなく現実なのに、自信がないらしい。
「愛してるよ、由希子」
 想いをこめてささやくと、私もと小さく返事がやってきた。同じように愛してると聞きたいんだが、滅多に聞けない。今日のところはそれに満足し、名残惜しさを振り切って俺は電話を切った。

2008.11.04 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

←BACK INDEX NEXT→

感想がありましたらご利用下さい。

お名前:   ※ 簡易感想のみの送信も可能です。
簡易感想: おもしろい
まあまあ
いまいち
つまらない
よくわからない
好みだった
好みじゃない
件名:
コメント:
   ご送信ありがとうございますv

 IndexNovel遅咲きの恋
Copyright 2001-2009 空想家の世界. 弥月未知夜  All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.