IndexNovel遅咲きの恋

2.ウェイティングルームのうわさ話

 お局様の結婚式までやっぱり何も情報は得られずじまいで、お局様は常と変わらずきびきびと隙を見せずに働いていた。
 ただ、流れてきた情報によると相手の営業の係長さんはかなり浮かれていたらしい。茨の道を突き進みつつも幸せオーラがまき散らせるとは、やっぱり相手がマゾなのかと興味が尽きない。
 好奇心も最高潮に達した結婚式当日は、良く晴れていた。雲一つない空が先行きの明るさを想像させるようないい一日になりそうだった。
 この日のために引っ張り出した空色のドレスを身に纏って、慎重にメイクする。気合いが入るのは下心たっぷりだから。頭も普段より丁寧にワックスを付けてまとめ上げる。
 何度も鏡で姿を確認して納得できてから出発しても、十二分に余裕を持って会場にたどり着いた。招待状を鞄から出して、受付の場所と時間を確認する。
 受付を済ませて案内されたウェイティングルームは、落ち着いた空間だった。ブラウンが基調の調度、所々飾られる淡い色彩の花。
 まだ時間が早いからか、ほとんど人がいない。残念ながら見知った社の人間もいないようで、私はカウンターでウェルカムドリンクを頼んで一角に腰掛けた。
 会場の人が頼んだアイスティーを持ってきてくれたのは、受付でもらった席次表を開こうとした時だった。いったん手を止めてテーブルに置き、アイスティーにガムシロップを注いでストローに口を付けた。
 のどが渇いていたから三分の一ほど一気に飲んでしまう。冷たい感覚がのどの奥を通り抜けて、ほっと一息。さてもう一度と席次表に手を伸ばしたところで、ガヤガヤとグループで男の人たちがやってきた。
 お局様の相手、営業の係長さんのお友達だろうか。私と同じようにウェルカムドリンクを注文して、そう離れていない位置に座っていくのを何となく目で追いつつ、暇つぶしがてら席次表を開く。
 開いてすぐの左側は、たぶん定型文だと思われる挨拶文。その右側は二人のプロフィールだった。
「うっわ、呼び方ユキだって、ユキ」
 何年生まれだとか出身校だとか、今見ても明日には忘れるであろう情報を目で追っていたら、さっきのグループの一人が大きな声を上げた。
 続いて、笑いの連鎖が起きる。何が面白いのかわからないけど、大の大人がするには違和感がある行動だ。子供みたいにぎゃははと笑っているから私以外にもいた数人からそこに視線が集中している。
「何であえて結婚相手にユキを選ぶかなー」
 最初に笑いを納めた一人がそれでも笑いの混じった声で言ったのも、やっぱり相当大きな声。
 ユキ、というと――私は普段意識しないお局様のフルネームを席次表で確認した。
 このうるさい男の人たちはお局様の関係者か。結婚式の寸前にそんなことを大きな声で言ってのけるのはどうかと思うけど、うなずける話ではある。
「たまたまじゃないか?」
「名前がユキコな時点で避けそうなもんなのにな」
「惚れたら名前なんて関係なかったんじゃねえ?」
「名前だけ並んだらどこの姉妹だよって感じだろ。アホだなアイツ」
「ユキにユキコか。姉妹つってもそりゃないだろ」
 もう一度大きな笑いが部屋中を満たした。
「あー、腹がよじれる。てことは、うっかりユキちゃんなんて呼んだ日には怒るのか友紀は」
「その名で呼ぶなって怒るのか、ウチの嫁を親しげに呼ぶなって怒るのかどっちだと思う?」
「お、賭けるか?」
「誰が実験するんだよ。アイツ怒らせると面倒だぞ」
 少しずつ出てきた違和感の正体は、すぐにわかった。お局様の関係者じゃなく、この男の人たちは営業の係長さんの親しいお友達だろうってことだ。
 三枝友紀って名前は、確かにユキと読める。昔そのことを散々からかった、ってことかなあ。で、お局様の名前が由希子で彼がユキと呼んでいるのが面白いと。
 お互いの呼び方の項目に、あえてカタカナで「トモノリさん」「ユキ」と書いているのはだからか。「友紀さん」と「由希」じゃどっちもユキと読んでしまう人がいるかもしれない。
 興味津々で聞き耳を立てていたけど、そのうち係長さんのご両親らしき人がやってきて「まあまあ久しぶりねえ」なんて一声かけられてからはまずいと思ったのか話が下火になってしまった。
 話は各々の近況にシフトし落ち着いた話しぶりになってしまうと、お局様のお相手のことなんてちっとも出てこなくなってしまった。



 席次表のプロフィールはまあまあ私の好奇心を満たしてくれた。完全にじゃないのは、すっきりしないからだ。
 初めてのデートの場所なんて正直興味がないし、プロポーズがどちらからなんてお局様じゃないのは間違いないから聞くまでもない。
 映画鑑賞をお互い趣味にしていることがつきあい始めたきっかけだろうかと何となく想像ができるくらいの情報しかないんだから。
 お局様に直接聞いても答えてもらえないだろうから、これはお婿さんにビールでも注ぎに行って聞いてみるしかないだろうか。噂によると浮かれているらしいから、お酒の勢いもあればボロボロしゃべってくれる気がするよね。
 何度眺めても新しい情報が得られるわけじゃないからと私は挨拶とプロフィールを左右に開いた。ようやく本来の席次表が姿を見せ、私は自分の名前を探す。
 招待客はそこまで多くないらしい。テーブルは十で、たぶん合計で百人もいない。変則的に高砂の前にお互いの上司を持ってきている。新郎側の一番前は新郎同僚席で、新婦側の一番前は新婦同僚として唯一私と、あとは新婦友人。
 二列目は新郎友人が二テーブルに、新婦友人一テーブル。最後列は両家親族。
 知っていたけど新婦同僚は私一人ですかと現実を再認識すると同時に、新婦友人席が二テーブルあることに驚いた。えーと、一人二人……友人八人ですか!
 結婚式に呼べる友人がお局様に何人もいたことは驚愕に値すると思う。新郎側の人数が多いのは間違いないけど、少しでも合わせようと無理にお願いしたんだろうか。
 「先輩を招待したのは絶対人数合わせですよー」といった後輩ちゃんの顔がいくつも思い浮かぶ。
 私以外に八人も友人がいるならあえて呼ぶことはなかったと思うんだけど、一応同僚もいた方がいいと思ったのかな。かなり疑問。
「わー、久しぶりー!」
 うーんと考え込んだところで、明るい声がすぐ近くで聞こえた。きゃーと喜び合う声がそれに続く。
 席次表を見る限り、新郎友人に女性はいないようだから新婦友人の声だろう。親戚に従姉妹の名前もないから間違いない。
「由希子から彼氏がいるなんて聞いてた?」
 一通りの挨拶を終えてはじまりそうな会話に私は席次表を見るふりをしながらそっと耳を傾ける。
 仕事場では惚気ないお局様も、友人にならしているかもしれない。
「全然。聞いてもなかったからびっくりよ」
「だよね。もう信じらんない」
「遠慮したんじゃないのー?」
「由希子ならありうるけど!」
 だけどあっさり期待を裏切られる言葉が続いた。
「こっちは毎日子供の相手と旦那の面倒見るだけしかなくて面白い話に飢えてるのに! 準備に忙しいのはわかるけど少しくらい旦那さんの話を聞かせてくれてもいいじゃない」
「本人に言ったらよかったのに」
「言ったわよ! でもすぐ切られたんだって」
 ああ、やっぱりねと言葉がいくつも重なる。
 お局様はお友達にも惚気ないとは――そうかやっぱりなのかと私も思った。新郎に聞き込むしか情報を得られないのか。
 聞き耳を立てていてもしょうがないなーと室内を見回すと、いつの間にか一角に見知った顔が集まっている。
 口をきいたことはあまりないけど、同じ社の人間だ。向こうも私が新婦側唯一の同僚だと席次表でわかるだろうし、声をかけてもいいだろう。
「由希子にしては悪くない判断したわね」
「どういう意味かしらそれ」
「そのまま話してたら根掘り葉掘り聞き出されると思って切ったんでしょ」
 うんよし向こうに行こうと立ち上がろうと思ったところで、私は衝撃的な発言を聞いて耳を疑った。
 お局様から根掘り葉掘り聞き出すって、すごいスキルを持った人が世の中にいるなんて!
「あんたは私をなんだと思ってんの」
 当然、立ち上がるのはやめにした。ぜひともそのスキルの詳細が知りたい。
「ある意味間違った判断だったかもだけどねえ。電話で適当に言っておけば、直接聞き出そうと必死にならなかっただろうに」
「さすがに披露宴の最中に花嫁に詰め寄ろうなんて思ってません!」
「二次会は?」
「行きたいけど、旦那と子供を放っておくわけには」
「あら残念ねえ」
「だから詳しく聞いておきたかったのにー!」
 結婚して子供までいるとは思えない可愛らしい人が大げさに嘆くふりをしている。
「これからいくらでも機会はあるんじゃない?」
「新居に遊びに行くとか」
「それはそうだけど……! ねえ本当に誰も由希子の相手のこと聞いてないの?」
「同じ会社の営業の人だってくらいしか」
「年が年だから急いで準備したとは聞いたけど」
「それって、騙されてないわよね?」
 悔しそうな口調が一転、心配そうな口ぶりになる。
「さすがにないんじゃない?」
「でもあの由希子よ?」
 あのってどのですかと問いたいのはどうやら聞き耳を立てている私だけのようで、さりげなく横目で伺うとおねーさん達は顔を見合わせてそれぞれ苦笑を浮かべていた。
「あの鈍い由希子を辛抱強く落としたんだろうから、悪い男じゃないんじゃないの?」
「騙すつもりなら途中で諦めるわね、うん」
「あそこまで鈍くなかったら今頃子持ちだったかもしれないのにね」
「えー、でも中途半端に鈍くなかったらそれこそ変な男に引っかかってたんじゃないの?」
 あーありうる、ときれいに声が重なる。
 貴方たちは一体誰のことを話しているんですかと思わず問いたくなったけど、そういうわけにもいかず私は気持ちを静めるためにグラスの氷をかき混ぜる。紅茶風味のほぼ水をちるちるとすすっても、今聞いた言葉がさっぱり理解できなかった。
 鈍い?
 変な男に引っかかりそう?
 もしかして別の人の話をしてませんか貴方たちは。
 でも、ウチの社の人間がここにいるからには私は間違ってないはずだし、この人達も何人もいるのに間違って受付を通ってくるとは思えない。
 加えて、今日この同じ会場でユキコさんが二人も結婚するなんて偶然はそうそうないような気もする。
 大きな違和感に納得がいかなくて氷をストローでかしゃかしゃやっていると、そのうち式の準備が整ったとアナウンスがかかる。
「三枝家、畑本家の式にご列席の方は――」
 そのアナウンスに、おねーさん達はいそいそと立ち上がる。
「どれだけ化けただろうね、由希子」
「普段化粧っけないからなー」
「写真撮りまくってあとで直接渡したら面白そうよねー」
「恥ずかしがって会話にならなくなるわよそれ」
「だから面白いんじゃない」
「嫌がらせしたいのあんた?」
「愛情表現よ、愛情表現」
「歪んでるわ〜。あんたの旦那、よく耐えてると思うわ」
「どういう意味よ」
 あれこれしゃべりながら出口に向かうのを思わず見送ってから私はようやく立ち上がった。
 違和感はふくらむばかりだったし、結局せっかくのチャンスに将来有望な営業部の人に声もかけられなかったじゃない。
 次は何か利益を得てやるんだからと気合を入れて、私はウェイティングルームの扉をくぐった。

2009.07.01 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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