IndexNovel霧生ヶ谷市

不思議マップ企画 2

 本田が企画書の直しを提出したのは、翌日の昼直前だった。十一時五十五分。蓮川はちらりと時計を確認して、受け取った書類を見た。
 枚数が増えているのは努力の賜物か。直す前の文面を思い出すと頭痛を感じる。蓮川はほぼ出だしの変わらない企画書を数行だけ確認した。一応、初っ端からげんなりした誤字も修正され、文面は整えられているようだ。
 自分を見る本田の顔には期待が溢れんばかりだった。そんなにいいものとは思えんがね、と蓮川は内心ごちた。
「見るのは後だ」
「そうですか」
 昨日の夕方から午前中いっぱいかけて直した企画書がどれほどのものか、それなりに検討する時間は必要であろう。内容が内容だから読もうと考えるだけでうんざりするので、余計に。蓮川も空腹のあまり読んですぐに怒鳴りつける結果になるのは避けたかった。
 その主張がどうあれ、蓮川はそれなりに本田の熱意を買っている。空回り気味だし、熱心になればなるほどその度合を深めるが、若いゆえのことだろうと考えている。経験を積めば、モノになるだろう――そう信じたい。
 ともかく本田は故郷に並々ならぬ愛情を抱いている。そればかりではいけないだろうが、それがまず第一にあれば少々のことではへこたれずに仕事に励むだろう。実際、空回りしすぎた書類を手直しする時も、どこか楽しそうであったから、見込み違いではあるまい。
「一緒に、飯でも食いに行くか?」
 ふと思い立って蓮川は本田に声をかけた。食べに行くと言っても、一番近場は三十五階にある食堂だ。美味と言うにはいささか難があるが、それなりにうまい。一番のセールスポイントは安さと近さか。
 本田はこくりとうなずいた。休憩時間にも何か説明してやろうという密かな決意が表情から見て取れる。企画書に目を通す前に何故不思議マップなんて代物を思いついたのか、口頭で聞くのも悪くない。
 蓮川は企画書を机にしまいながら立ち上がった。



 市役所にある食堂の営業時間は十一時から十七時までだ。オーダーストップは十六時三十分。十二時から十三時までは職員優先となっているものの、市民に開放されているから明らかに学生のような若者の姿も多い。質より量を取りたい学生なら市役所の食堂は魅力的だろう。うどんとカツ定食、カレーにラーメンなどなど、数種のメニューを盆に載せてテーブルに向かう若者に、蓮川は目を細めつつ食券販売機に小銭を入れた。
「お前は何にする?」
「え、おごりっすか」
「昼飯程度ならな」
「カツ定が食べたいです」
 遠慮がちに本田は口にした。蓮川自身はヘルシー定食を選ぶ。下腹のでっぱりが気になっているのだ。昨年痛風になって以降、本田のように気軽にカツなど食えなくなった。往時に思いを馳せながら蓮川は小銭を追加した。二人分で千円から少し頭が出る程度。近隣に食べに出ればこうはいかないだろう。食堂様々だ。
「じゃ、俺取ってくるので、課長は席をお願いします」
「わかった」
 蓮川はこくりとうなずいた。丁度、窓際のテーブルが空いたので腰をかける。市役所でもかなり上階にある食堂からの眺めは、蓮川が好むものの一つだ。
 霧生ヶ谷の町並みは他に比べて頭一つ抜きん出ていると彼は思っている。座った席は北を臨んだ方向で広く窓がとられ、その景観はなかなかのもの。弐王子山地から南へ流れる九頭身川が数多の支流や水路に分かたれる様子がよく見えた。
 仮にも政令指定都市であるからそれなりに都会化はされているが、古きよき町並みもそこかしこに残っている。先人が早々と保存地区を定めたことが功を奏したのだろう。市役所から徒歩圏内にも、ほっと息がつける箇所がいくつかあった。
 専門の水路管理局まで設けているくらいだから、霧生ヶ谷市の水路保全に関する意気込みは並々ならない。だがそれだけの価値があると蓮川は考えていた。観光の目玉の一つである事実を差し置いて、個人的にも好きなのだ。
「お待たせしましたー」
 頭の軽いウェイターのような声を出しながら、本田がやってきた。何くれともなく考えながら一心に外を見ていた蓮川は慌てて振り返る。両手にトレーを手にした本田は、蓮川が何を見ていたのか不思議そうに窓の外を見ている。
「早く座りなさい」
 バツが悪くて、蓮川はいつも以上に愛想の欠ける声を出した。慌てたように本田は蓮川の前にトレーを一つ置いて座り込んだ。
「何を見てたんですか?」
 他人に鋭すぎると言われるばかりの蓮川の眼光に本田はめげない。その鋭い眼差しに気付いていないのなら鈍いし、気付いてこうなら思いの外図太い。
「町をだよ」
 蓮川は端的に事実を口にした。その程度のことなど本田も最初からわかっているに違いない。虚を突かれたような、鳩が豆鉄砲を食ったようなぽかんとした顔で「はあそーっすか」と呟いた。そこで引くのだから、いまいち押しが弱い。
 気を取り直したように本田は手を合わせて、カツに箸をのばした。
「課長も、町を眺めるのは好きなんですか?」
 蓮川も食事をしようと箸を手に取ったところで、その本田の言葉だ。ぴくりと動きが一瞬止まったのに気付かれただろうか――蓮川は聞くに聞けず、密かに息を飲む。
「俺も好きなんですよー」
 本田は気楽に続ける。どうやら、蓮川の動揺には全く気付かなかったようだった。
「上からの眺めはいいっすね。こう――なんというか、愚民ども! みたいな」
「は?」
「やっぱり、市長室が最上階にあるのはその感覚があるんでしょうねえ」
 けろりとした顔つきで、さらりと本田は言ってのける。思わず聞き返した蓮川だったが、答えもないので深くは尋ねないことにした。相当不穏当な発言を耳にした気がするのだが。
 蓮川は何となくヘルシーランチに使われている食材の名を数えはじめる。三十品目のヘルシーランチという売りだが、何度数えても二十ほどしかわからない。
 ヘルシーと銘打つだけあって、いろいろ気を遣ってあるメニューだ。女性と蓮川世代の男性に人気のメニューはここ数年で充実した。恐らくは安い食材の大量仕入れを背景にして、ヘルシーランチのおかずは日々少しずつ変わり続けている。当初、固定のおかずしか出ずに割高だったことを思えばその進化は目覚ましい。
 近頃摂取カロリーが気になる蓮川は、月の半分はヘルシーランチを食べるのだ。なのに一度として三十品目をすべて数えきれることがない。これは密かに悔しいことだった。
「食堂がもっと上にあったらなあ。屋上とかに、夏はビアガーデンを開いて一杯」
「馬鹿者」
 十品目を数えたところで、本田の発言を聞き逃せなくなった。
 市役所本庁は下手をすれば長年勤務する蓮川さえ迷いそうな広大さを誇っている。その屋上の広さは推して知るべし。確かに広いが、市役所の屋上でビアガーデンなどができるわけがない。大体、あそこの景色はそこまでよろしくない。四方に正気の沙汰とは思えない謎の巨大アンテナがあって景色を見るところの話ではないのだ。
 叱責の後に蓮川はため息を漏らした。本田は身を竦めて「言ってみただけですよ」と呟く。本当だろうなと蓮川が睨み付けると、彼は亀のように首を引っ込めようとしながらこくりとうなずいた。
 蓮川は再び一から品目を数える。十九を数えたところで、何も出てこなくなった。三十すべて数えられる客がいるのかと蓮川はいつでも思う。長年料理に腕をふるう妻なら、あるいは可能なのかもしれない。
「で、本田」
 若い頃は早食いだった蓮川も、最近は自分にそれを禁じている。ゆっくり咀嚼することが満腹感に繋がり、それが食べ過ぎを予防するのだと妻が言っていた。
 噛むことを心がけている蓮川に対して、若い本田はガツガツとカツを素早く平らげた。そして暇そうな顔で外を見る彼に、ようやく蓮川は今日の目的である問いを投げかけることにした。

2007.05.16 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
ですが霧生ヶ谷市企画部考案課には関連しております。

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