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■魔王の誕生は
空のうなり声が聞こえて、それはむくりと身を起こした。
暗く、湿った空気のよどむところ。
そこは朽ち果てた小屋のなれの果て。屋根にも所々穴が見える。
穴から空を眺めやると、もう日も落ちつつあるのだろう――わずかな明かりしか見えなかった。
立ち上がる。ぎしぎしと床板が軋むので自然と忍び足。朽ち果てた小屋から外に出るにはほんのわずかな時間しかかからない。
それは扉に手をかける。やはり軋む扉を押し開けるのは、鱗に覆われたくすんだ緑の腕。
日が暮れる以上に、空を覆い隠す雲が辺りに闇を撒いている。
それは空を見上げ、ぎょろりとした瞳を細めた。轟く雷鳴。稲妻がぎらりと一瞬空を瞬かせる。
「――こういう時だ」
漏れたのは低く押し殺したような声。
「そう、こんな時だ……」
繰り返し呟きながら、小屋から完全に出たそれは顔を歪めた。
爬虫類じみたその顔は表情が読めず、歪めたところでその真意は見えてこない。
稲妻の行く故を見定め、脳裏に描く。足を強く踏み出すようにして、それは一瞬念じた。踏み切ると同時に視界ががらりと変わる。
軽い酩酊感を感じて、それは数歩たたらを踏み、それからぐるりを周囲を見渡す。
そこは薄暗く、淀んだ空気に満ちている。それと負の気配は近しい――悪い気はせず、むしろそれから力を得て、ふんと鼻で笑う。
雷鳴が鳴り響き、辺りが一瞬照らされる。
その中でうずくまる影を見定めて、それは足を踏み出した。
渦巻く負の気配の、その中心。その影がずいぶん小さい事が分かって、それは途中で足を止めた。
「……」
じっくりと、影を見定める。
ぎょろりとした目を何度瞬かせても、その影は変わらず小さかった。
「赤子……だと?」
呟きが思わずかすれる。驚きの響きがそれの口から漏れた。
空が闇に満ちうなり声をあげるこんな日に、魔の気配が渦巻くその中心で魔王は生まれる。
だとすれば、これが魔王だ。昔を思い起こし、それはそう確信する。
この赤子が。
魔王、とは魔の中の魔――その主たる存在。その称号は約束事のようにただ一人に与えられる。
前の魔王が力を失ったその後に、その力を新たに受け継ぐのが新しい魔王。
それは「誕生」とは呼ばれるけれど、魔王としての力を持って生まれてくる魔も珍しいのではないだろうか。
それは自らの記憶を辿り、そう思った。
何よりも異常なのは、それが赤子な事だ。まるで普通の人間の幼子のよう――魔王でなくとも、魔がそのように危険に対処できない姿で生まれるようなことも、やはり聞いたことがない。
ゆっくりとそれは赤子に近付いた。
探るような眼差しになるのは、仕方ないことだった。
新しい魔の主が、そんな姿で周囲を謀ろうとしている可能性も否定はできない。
弱々しく人にたやすく後れをとりそうな姿で魔王が存在することはそれには考えられぬから。
近付くと、赤子は「ふみゃおぅ」と言った。あくびみたいな響きで、なおかつ無防備な姿で。
それはためらいながら赤子に手を伸ばす。
ざらざらした己の肌に気付き、手を一振りしてどこかから布を出す。柔らかい布で赤子を覆い、それは赤子を抱き上げた。
爬虫類じみた魔ではあっても、その造形は人によく似ている。異形の姿と赤子とはアンバランスだったけれど、無骨な腕で赤子を抱くその姿に危なげなところは一つもない。
きゃっきゃと喜ぶ赤子の姿に、それはふうと息を吐いた。本気で、魔王は赤子そのもののようである――信じられないことに。
どこか困った風にそれは空を見上げた。だが庇護せねばならない魔王が存在しうるのか、それを考察したところで事実が変わるわけでもない。
再び地を蹴って、それは空間の狭間を移動する。
とりあえずどこか、人里離れたところに居を構えねばなるまい。そう考え、記憶を辿り、先代魔王に滅ぼされた北の大地に瞬時に跳ぶ。
大陸の端の端、人に放棄されたその城を――見上げたそれは一応満足してうなずいた。
放棄され、手入れのされていないその城はまあそこそこ魔王の居城らしくみえる。
「……私の趣味ではないが」
ぼつりと漏らし、突然の移動に驚いてぐずる赤子を器用にあやす。
「ま、それはそれでかまわぬか」
それは呟き城に足を踏み出す。
魔王ヴィルムが成長し、「まおー」ブームが盛り上がるのはまだまだ先の話。
その一の配下にして後見役たるゲルグはそんな新しい主の成長っぷりを想像すらできずに、勝手に拝借した城の中、一番上にある部屋をまず主のために整えることにした。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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