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リンゴと目的

 俺とナカのつき合いは、実に十三年の長きにわたる。
 小学校で同じクラスになって以来、つかず離れず中・高・大と図らずも同じ学校に通ってきた。同じ進路を選んできた辺り、よっぽど気があったんだろう。
 さすがに学部が違うし、これ以後進む先が分かたれていることははっきりしているけど、俺とナカが腐れ縁の親友同士だって事実は変わらない。
 ナカは男の俺から見ても嫌みがない美形で、頭がいい。その双方に対してナカに遠く及ばない俺が、コンプレックスを抱かないでナカと仲良くしていられたのは、ナカの性格が社交的で明るく、そして頭がいいくせにネジが一本ゆるんだようなところがあるからだろう。
 何もかも完璧だったら敬遠してしまうだろうけど、ナカは完璧に近いくせに完璧にはなりきれないヤツなのだ。
 そのナカは年に数回くらい、必ずなにかに悩んでふさぎ込むようなところがある。
 青信号は何故緑なのかという軽そうなものから、何で自分は生きているんだろうというやけにシリアスなものまで幅広く――その幅広いどんな悩みに対しても、ナカはいつも真剣な顔をして考え込むのだった。
 広い大学構内の、普段は寄りつかない俺の学部の建物が数々並ぶ辺りで、ベンチに座って真剣な顔をしているナカを見たときにまたか、と思った。
 ナカは悩みに行き詰まると、必ずと言っていいほど誰かに相談を持ちかけるのだ。
 俺もナカも一人暮らし。
 高校時代にいろいろあってからこっち、ナカは伊達眼鏡をかけて整った顔を隠し、あんまり人と関わらずに生活している。実家から離れたところに進学したものだから、相談を持ちかける相手なんて俺くらいしかいないんだろう。
「悪い、ちょっと野暮用」
 一緒に歩いていたサークルのメンツに俺は言った。
「どうした?」
「あとで追いつく」
「遅れるなよー。二丁目のサン・デリーに六時」
 先に行ってくれ、と手を振ると不思議そうな顔をしながら友人達は先に行った。
「おうよ」
 時刻は四時半。まあ、なんとかなるだろう。彼らの姿が視界から消えるまでたっぷり待ってから、俺はゆっくりナカに近づいた。
 真正面に立ったのに、ナカはこっちを見たまま微動だにしない。
「目を開けたまま眠ってるのかこいつ」
 呟いても気付かないので、俺は手にしたカバンで軽くナカをこづいてやった。
「うおっ」
 さすがに驚いた様子で、慌ててナカは顔を上げた。
「お前なにこんな日の照るところでトリップしてんの?」
「それどっから突っ込むのか聞いていいか?」
 じっとりと俺を半目で見上げてナカは言った。
「実際お前日の光苦手だろ」
「俺は吸血鬼じゃないんだけどな。単に木陰が好きなだけだ」
 ナカは胸を張った。
「よくまあ頻繁にトリップできるよな?」
「人を危ないヤツみたいに言うな」
 俺的にはもっともだと思うんだが、ナカのほうはひどく不満げだ。
 意外と普通にナカは返答を寄こす。
 ぽんぽんとやりとりしていると、ナカは座れとばかりに自分の隣の座面を叩いた。遠慮なくどっかりとベンチに腰を下ろして、ナカの顔をちらりとうかがう。
「なあ、今時間いいか?」
「暇じゃなかったら座らないさ。一時間くらいは平気だ」
「約束?」
「合コン」
「ほほー。面白い?」
「興味あるなら、今度誘うぜ?」
 一応そう声をかける。ナカはいわゆる美形だから、女の子受けはいいだろう。ただまあ、見た目で言い寄られて言動で幻滅されるタイプだけど。
 俺とナカの共通点と言ったら、これまでの経歴のほとんどと彼女いない歴の長さくらいだろう。
 もてそうだし実際もてるのに、ナカはこれまでの人生で一度も彼女を持ったことがないのだ。
「女の子を見るのは好きなんだけどなぁ。でも、合コンはちょっとなぁ」
 ナカは苦笑気味に顔を歪めた。
「――その女嫌いは、いい加減治した方がいいと思うぞ」
「別に女嫌いじゃないんだけど」
 そりゃあもちろんナカだって男だし、可愛い女の子に興味はあるハズだ。でも。
「女の子は好きなんだよ、でもなー。見てるのと付き合うのとじゃ違うよな」
 ナカが女嫌いっぽくなったコトがあったのは、もう三年くらい前の話になるか――。
 ナカが告白して、振られて、その後に……いろいろあって。あの時は人事ながら、無性に腹が立ったもんだった。
 ――思い出しても腹が立つから止めよう。
 あーあ、悩み聞こうとしてる時に変なこと思い出させてどうするよ俺。
 ため息を心の中だけでもらして、頭を振る。
「またお前、なんか悩んでるのか」
「また言うな」
 それから、話を逸らそうと問いかける。
 ナカはむっと不満げな顔をしたけど、悩みがあることは否定しない。
「よくわかるなー」
「何年付き合ってると思ってんだ」
「さすがニノ、我が親友」
 冗談めかして、ふっとナカは笑った。
「俺、何を目的にしてたんだろうなってふと思って」
 それからさらりとそんなことを言う。
 今回はシリアスっぽい悩みらしい。
「なんでまたそんなわけわかんねぇトコにはまってるんだ?」
「いやー、なんかなー」
 ナカはもごもごと要領の得ないことをぶつぶつ言うと、はあぁとまたため息ひとつ。
「たとえばさ。俺がリンゴが好きだとするだろ?」
「あ?」
 いきなりの話に俺は目を見開いた。
 不審に思っているのを隠そうともせずにナカを見たけども、本人はいたって真剣な眼差しのように見える。
 相変わらず正面を向いたままで、俺の様子は気にもとめてないようだ。
「お前、実際リンゴ好きだろ」
 小学校の時の余りデザート争奪戦の時の様子がふっと頭に浮かんだ。
 女子に「かっこいいけど意地汚いのはどうかと思うわ」なんて言われたことはきっと両手の数じゃ足りないくらいあるほど、ナカはがつがつしていた。
 リンゴに限らず何が余ってもいつも争奪戦には加わっていて――あー、でもピーマンとかにんじんとかは嫌いだったか。
「たとえ話だよ」
 っと、昔を思い出してる場合じゃない。
 ナカはやんわりとそう言って、一瞬だけ俺を見たあとで視線をまた前方に固定した。
「リンゴが好きだから、基本的には食べるのはどんなリンゴだっていいわけなんだよ。好きだから」
「うまいまずい、当たりはずれあるけどな」
「どっちかというと、甘くてしゃきしゃきしたのが好みだな。芯の近くに蜜があるヤツ。でもそれって品種である程度決まってくるところはあるけど、結局は一個一個違うだろ?」
「まあ、そうだな」
「外から見てみたって、結局皮むいて割ってみなければ中がどうか分からないさ」
「うん、それで?」
 話の意図が読めなくて先を促す。
「リンゴが好きだから食べていたはずだし、今でもリンゴが好きなんだよな。なのにいつの間にか、リンゴを食べるって目的がすり替わってきたように思えてきた」
「はあ」
 説明してくれたところで要領を得ないのは変わらない。
「どういう風にだ?」
 本人は簡単にかみ砕いて説明してるつもりなんだろうな。リンゴと目的がどう関わるのか、俺にはちっともわからないけど。
 ――まあ、話をするだけしたらナカは自分一人で勝手に結論を出して満足するから、理解する必要はないんだけどさ。半端に聞いてしまうと詳細が気になるワケで。
「大きな意味でリンゴが好きだったはずなのに、なんて言うか、ほら」
 ナカは難しい顔でうーんとうなる。
「次第に見栄というかそんなモノが出てきたんじゃないかなと」
「はぁ」
「ただの一個百円ちょっとくらいの、やっすいリンゴが食べれれば満足だったのに、最近はなんだな、ほら二十世紀とかそういう品種の」
「……それは梨だろ、二十世紀梨」
「あー」
 ナカはばつが悪そうな顔になって、俺を見た。
「――悪い、実は品種なんぞどーでもいいんだ」
「たとえ話だしな」
「えーと……たとえば、俺はカバンが好きなんだとしてな」
 しばらく考えた後に再び元のように正面をじっと見て、がらりとナカは話を変えた。思わず俺はナカの肩を掴んで、こっちを向かせる。
「また最初からたとえを変えるのかッ?」
「ブランドなら分かるぞ」
「繰り返しになるだろが。リンゴってーと、ふじとかゴールデンデリシャス――他には王林とか紅玉とかがあるな」
 名前は思い浮かぶけど、どれがどうなんて全く分からないわけだけど。
 ナカはおおお、と感心したような声を出す。
「えーっと、じゃあまあそのゴールデンデリシャスとか、そういう高級そうなヤツが欲しくなってしまったんだけど、それって正しいのかなと」
 ゴールデンデリシャスが名前ほど高級かどうか疑問だけど、ってことは今言うべきじゃないんだろう。
「まずいよりはうまい方がいいんじゃないか?」
「うーん」
 言うと、ナカは難しい顔でうなる。
「どうもたとえ方を激しく間違えた気がしてきた」
「……リンゴだしな」
 どんな悩み事か知らないけど、真剣な悩みっぽいのにリンゴでたとえた辺りが失敗くさいだろ、既に。
「リンゴが好きだったはずなのに、高級なリンゴにしか目を向けてないんじゃないかなとか、そんな感じのことを思い始めたんだけど」
「たとえじゃなくてほんとのことを話せばいいだけなんじゃないか?」
「ぬー」
 ナカは再度うなった。悩みを相談したがるくせに、その詳細をぼかして話すようになったのも、やっぱり三年くらい前からのこと。
「俺は好きだからやってたんだけどさ、その思いは今でもかわんないんだけどな?」
 でも、今更俺に遠慮する必要はないと思い直したらしい。
 ナカは再びぼそぼそと話しはじめた。
「うん」
「好きってだからしている、って事実に変わりはないはずなのにいつの間にかそれがひどく苦しいことになっている気がしはじめた」
「……」
 ナカの顔は苦しげで、下手に声を掛けることが出来なかった。
 ほんとの事って言ったところで、いまいち意味不明なのは俺の頭の問題なんだろうか。
 違うよな、誰が聞いても意味不明だよな、今の話。
 やっぱり、どっか遠慮があるのか……。それはいろんな意味で寂しいと俺は思うんだけど。
「――なんてんだろな、ほらえーと。コウミョウシン?」
 次の言葉を探していたらしいナカが、迷いつつ口を開いた。
「へ」
「巧みに名前の名に心。名をあげたいとかそんな感じの意味だな――好きって気持ちよりもそっちのがいつの間にかおっきくなったんじゃないかって、突然気付いた」
「はあ」
 途方に暮れたような頼りない瞳がいきなりこっちを向いて、何か問いかけるように俺を見つめる。
「えーと、何でまたそんなことに気付いたんだ?」
「何でだろうね」
 ナカは言いながら、俺から視線を逸らした。
 自分で原因に心当たりはあるらしい。言いたいことじゃないという、柔らかな拒絶。
 それで相談しようだなんて卑怯だよなー、とは思うけど、ナカは憎むことが出来るような相手では決してない。
「結局リンゴと目的がどう絡むわけだ?」
 見えるカードが少なければ、打つ手はないに等しい。ため息を内心に押しとどめて、尋ねる。
「うーん、なんなんだろうなー。段々訳分からなくなってきた」
 と、ナカが寄こすのはそんな返答なんだから、ほんとにもう、どうすればいいんだか。
 俺はアドバイスの言葉を持たずに押し黙るしかないし、ナカはナカで眉間にしわを寄せて真剣な表情。
「人間大人になるに従って、見栄張りたくなるんだろうな」
 数秒か、数分か――やけに長く感じた沈黙の後で、ふっとナカはつぶやいた。
「俺なんかまだ大人と子どもの中間地点ってくらいだからさ、たまにそういう見栄張りで正直じゃない自分に気付いて、我に返っちゃうんだ」
「また妙に小難しいこと考えてるなー」
「ニノが単純すぎるだけだろ」
 あえて軽い調子で言ってやると、眼鏡の奥をナカは緩ませた。
「失礼な」
「でも俺はそういうニノの単純なトコ好きだわ」
「野郎から告られてもうれしくねー」
「残念ながらそっちのケはないよ」
「そこで残念ってのはなんか違うくないか?」
「違うくないって言い方が違うだろ」
 俺とナカは数秒睨み合った。
 先に吹きだしたのはナカで、俺は何となくにらめっこに勝利した気分になって次いで笑った。
「あー。ニノに話してなんかすっきりした。やっぱり人間正直が一番だな」
「俺はなんだかすっきりしないけどな」
 結局何について悩んでたんだかわからなかったし。
 あとお前、正直とはほど遠いだろ――って、また悩ましてもあれだから言わないけど。
 俺の内心も知らずにナカは晴れやかに笑って、ぽんと俺の肩を叩いた。
「相談に乗ってくれたお礼に今度何かおごるよ」
「焼き肉とか言うぞ?」
「いいよー」
 勝手に悩んで意味不明なたとえ話をして一人ですっきりしただけで、ナカは妙に上機嫌だ。
 いつものこととはいえ、何がどうすっきりしたのか俺には分からないけど。
「に・くっ。いいねえにく。大好きだ肉」
 にんまりと目尻を下げて、ナカは明るい声。
「おー、ほんとだな? 今度メールするぜ」
「了解了解。うまい店探しといて。じゃあ俺、家帰って寝るわ、眠い」
「おう」
 ひょいとナカは立ち上がって、手を振った。踊るような足取りで歩き始め――そして。
「リンゴー、リンゴー、おいしいリンゴが大好き〜」
 なんて適当な調子で歌い始める。
「あまーいしゃっきりリンゴー、うまうま〜」
 一晩中悩んでて、寝てなかったとかそういうことなのか?
 眠気が突き抜けて妙なテンションなんだろうか。やたら脳天気で、妙な歌詞だ。
 ナカは歌が飛び抜けてうまいもんだから、その即興らしい妙な歌も無駄に甘くしっとり響いている。
 才能の浪費だろうそれ。言いたい気持ちをぐっとこらえる。
 時計を確認するともう五時に近い。訳の分からない相談でいつの間にか三十分くらい経っている。
「しかしヤツの言うことはあいっかわらず分からんなぁ」
 見た目よくて、頭いいはずなのに、即興で変な歌を歌い出したりする――そのワケのわからなさがナカがナカたる所以で、腐れ縁を続けていられる原因なんだけど。
 ――変な歌を歌うのは止めた方がいいって、今度忠告しておかないとな。

2005.04.21 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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