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精霊使いと国境越え
5.精霊使い歌合戦
そして。
しばらくすると例の男の声が聞こえて――俺達は顔を見合わせてからスピードを上げた。
こっちが近付くと同時に向こうも近付いていたようで、男はこっちの姿を認めると足を止めた。
面と向かう。
さっきは出会ったと同時に逃げ出したからまともに顔を見るのはこれが最初。
三十をいくらか過ぎたくらいだろうか。
黒い髪、引き締まった輪郭、同色の瞳。ゆったりとした上下。
優しく諭すような声は変わらない。
ちょうど俺と男の中間くらいで、精霊たちの勢力がまっぷたつになっている。
『貴方にその言葉を教え込んだのは何者です?』
その勢力圏のぎりぎりのところへカディは進むと、語気荒く問いかけた。
にやり。男は顔を歪める。俺が向こうに対抗しているように、向こうもこっちに対抗しているんだろう。
カディのまとう空気が変わる。
押し殺された――でも威圧する気配に、男は少しだけ表情を変化させた。
『言いなさい』
そして、カディの言葉に反応して二言三言呟く。
それは俺には全くわからない言葉で、それでもさっきまでとはちょっと違った言い方だというのは何故かわかった。
『ふざけたことを……っ』
カディはいらいらと叫んで、俺に一瞬目を合わせた。
『そういうことですから、遠慮なく行きますね!』
「いやなにがそゆことかわかんないぞっ!」
俺は本当に訳が分からなかったから、思わず突っ込む。
『何やってるんですかーっ!』
何ってそりゃ、訳が分からないから……。
って!
突っ込んだせいで歌が中断。瞬時に男の影響が増して、カディがそれに巻き込まれた。
「うわああ、悪いカディーっ!」
俺と男の間の境界が崩れ去る。一気に向こうの影響で精霊たちが揺らぐ。
謝ったものの、いったん中断した歌をどう続けていい物かとっさに判断できないうちにさらに影響が広がる。
「くっ――カディ!」
周囲の精霊が揺らいだあとに敵意を持った存在になった。
カディさえもその影響を受けないかと、俺は恐怖にも似た心地で叫んだ。
『なにやらかしてるんですか貴方はーっ』
呼びかけたカディは、声だけは勢いがある。でも男の影響かその姿はいつもよりはっきりとしていない。
「あ、悪――」
「謝ってる暇があったら歌いなさい」
謝りかける俺にレシアがぴしゃりと言う。
いやそれはわかるけど。動揺してどうすればいいか一瞬判断が出来ない。
『私は、大丈夫ですよ』
かんで含めるようにゆっくりとカディが呟く。カディのいるところから順に、土に水が染み渡るように男の影響がこっちに向かっている。
深呼吸。目を閉じて気持ちを落ち着かせて、再び歌いはじめる。
敵に回った精霊たちのらしからぬ殺気なんて、あまり感じたいたぐいの代物じゃない。
数秒――数分のタイムロスは向こうにずいぶん優位に働いていて、ぴりぴりと肌に突き刺さるような殺気に胸の奥に苦いモノが広がる。
恐怖、それはさっきそう名付けた感情。
……カディが無事で良かった。そのことを感謝して、余計な感情を追い出すべく頭を振る。
「さすがに」
そうしていると、男が余裕を持ってようやく俺にもわかる言葉を出した。
「そう簡単には翻らぬか」
『当然です』
カディは反転するようにして、素早く俺の近くに舞い戻ってくる。
『そう易々と洗脳食らったりしませんよ』
ふふんと胸を張りながら、一方でカディは俺を睨む。
いや、悪かった。反省してる。俺が悪かったから。
それを口に出すわけにも行かず、目線で訴える。
『全くもう――何やってるんですか』
呆れたような口調で、小さくささやく。その声に怒りはなくて、俺は心底ほっとした。
なんとなくカディを敵に回すのは怖い――いろんな意味で。
『スィエン! チーク!』
カディは俺から視線を転じた。
『だいじょーっぶだわよ。カディの方が平気だわ?』
スィエンが元気な声を出して近寄ってきて、心配そうにカディを見上げる。チークもいつの間にか近くにやってきていて、何も言わないまま男を睨んでいた。
男は再び神の世界の言葉とやらを延々と吐き出している。
その男に一番近い位置にいるのがやたらと張り切っていたレシアで、それからちょっと離れて俺の手前に精霊主3人。
細長い豆のような隊形の俺達の周りを、悪意を持って精霊たちが囲んでいる。
正面も、横も、後ろさえ。
彼らが近付いてこないのは男の命令がないからだろうか――?
孤立無援の状況で、今度は逃げ道さえも見いだせない。
いや、悪いのは誰かわかってるんだけどな。
俺だよ、俺が悪いんだよ。わかってるよ反省はあとでする。
問題は、このどーしよーもない状況をどう打破すればいいかってことで。
男とにらみ合っていても、声高に歌おうとも、精霊たちはぴくりとも反応してくれない。
俺と向こうの影響は同じ程度なんだろう。それは均衡を保って、お互いの領域に手を出せない。
「ぴりぴりするわねーぇ」
ごくりとのどを鳴らして、ぎりぎりの緊張感に変化をもたらしたのは精霊たちのことが気配によってしか感じられないレシアだった。
男は動かない。何を考えているのかわからないから、いつどうなるかは知れなかったけど。
こっちも動けない。精霊と精霊が相争うことは本意でないから簡単に行動に移れない。
その中で精霊使いでないレシアだけは、どこかのんびりと緊張感を振り払い、そうして。
「私は魔法使いだからね?」
そう言って短い呪文を唱えた。
彼女がぱちんと指を鳴らすと男の後ろで突然炎が巻き起こり、男に襲いかかる。
「無駄だ」
男はそう呟いて、にやりと笑う。同時に炎は消え失せて、レシアは肩をすくめた。
「みたいねー」
レシアは彼女らしくなくあっさりと呟く。
「でも――魔法が使えるなら、私にはやりようがあるわ」
続けた言葉は不敵に響いて、彼女は男から視線を逸らさない。
「魔法使いなどより、精霊の方がより強力なのだよ」
「あら余裕ねぇ。しゃべってちゃ、ソートに負けるわよ?」
男は俺をちらりと見た。
「精霊の好む歌、か――そんなものを知ってるとは思わなかったが」
言って、カディ達に視線を向けると楽しそうに口の端を歪める。
「精霊主か。知っていてもおかしくはあるまい」
『おや、わかるんですねぇ』
馬鹿にした響きでもってカディが男の言葉に応じる。
『さすが、自称神の使いです……貴方の神とやらがどこの誰なのか存じませんが?』
「偉大なお方だ――我に言葉を与えて下さった」
男はそう言って、レシアに視線を戻す。
「世界の創世を司る神の言葉。その言葉によりその小僧の歌は封じた……風の精霊が運ばねば声はこちらに届かない」
『なるほど』
カディは手を振った。俺の後ろから風が起こったのはカディの仕業だろう。男の言葉に、俺の言葉を向こうに届けようとしたのか。
「無駄だよ、風主」
男は静かに言った。もう神の世界の言葉を使わないのは余裕の現れらしい。
「自らを形作った言葉の方がより強固に精霊を縛る――精霊主の命より我が言葉の方が強い」
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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