Index>Novel>精霊使いと…>
精霊使いと魔法国家
3章 すべて、偽りの。
1.真面目と不真面目
「おっはよーん」
楽しくてたまらない、そんな響きの声だった。
「え、う、わっ?」
寝ているときに耳元でそんな声が聞こえたら誰だって飛び上がると思う。
慌てて身を起こして、声の主を見やる。見なくてもその声は充分覚えていた。
いまいちつかみ所のないお兄さんことアートレス家のご当主様、セルクさん。
「お寝坊さんだねー?」
くすくす笑いながら、俺の耳元であいさつするためだけのためにベッド脇にしゃがんでいたらしいセルクさんは立ち上がる。
ちらりと窓の外を確認すると、太陽は昨日起きたときと同じくらいの高さにはあった。早起きして仕事に出るセルクさんにしたら遅いのかもな、とは思うけど。
「昨日夜更かししてたんで」
つい言い訳を口にする。セルクさんは軽く目を見張った。
「おや、なんでまた」
「いや、カディ達がどうかなあなんて思ったら」
セルクさん自身に出掛けるなって言われたから、俺は大人しく留守番していたわけだけど、だからってのうのうと休む気にはなれなくて結構な時間まで起きてたような気がする。
ベッドでごろごろとしていたら、いつの間にか寝たようだけど。
そういえば、と室内を見回すとカディもスィエンもチークも戻ってきていた。ということはオーガスさんも戻っているんだろう。
カディが呆れたような顔でセルクさんを見ているのは、昨日オーガスさんに言ったようにノックぐらいしなさいとかなんとか言いたいのかな?
口にしないのはもうしたあとからなんだろうか。
「そーいえば昨日は大丈夫だったの?」
『なにもありませんでした』
「それはよかった」
セルクさんはほっと息を吐いて、俺に視線を戻してきた。
「夜更かしは美容の大敵よぅ、ソートちゃーん」
冗談めかした一言に、朝っぱらから力が抜ける。
「美容とかそんな問題じゃ……」
「ないけどねえ。実際問題、精霊さん達は寝なくても平気かもしれないけど?」
ちろりとセルクさんはカディを見て、彼がうなずくのを見てふっと笑う。
「ソートちゃんは寝なきゃ体力持たないんだから、やっぱり俺も一緒に出た方がいいと思うんだよねー。交代で休めるし」
『言われてみるとそうですね』
カディが素直にうなずいた。
「オーガスちゃんも結局は寝なくていい人っぽいしねー。考えてなかったでしょきっと」
『休まなくて全く平気というわけではないですが』
「それはそうだろうけどねー」
カディの言葉にうなずきながらセルクさんは俺から離れていく。
「朝ご飯の準備は出来てるから、早くおいで。急がないと食いっぱぐれるよー」
扉に手を掛けて、言い残して去っていく。
「――わざわざ起こしに来てくれたんだ?」
『読めない人ですね』
カディにそう言われるなんてセルクさんは奥が深い人だと思う。
一昨日から何度も来た食堂で待っていたのはセルクさん一人。
俺に付いてきたのはカディ一人だった。
「あれ、オーガスさんは?」
机の上にはたくさんの食べ物。食いっぱぐれる可能性なんてないじゃないかと思いながら俺はセルクさんの正面に座り込んだ。
「カディちゃんの言ったとおり、全く休まなくていい人なわけじゃなかったみたいだね」
寝ているってことかな。
『……あの、その呼び方は……』
納得する俺の横でカディが顔を歪める。
「俺は仲良くなった人はちゃん付けで呼ぶ主義よー」
セルクさんがけろっと言うと、カディはなにやら珍妙な顔をして黙り込んで、しばらくしてため息をついた。
『止めて下さいと言っても無駄なんでしょうね』
「お望みなら、カディ様とお呼びしようか?」
『ご遠慮します』
呆れた声を出して、カディはふいっとセルクさんから顔を逸らした。オーガスさんといいセルクさんといい、何でカディに口で勝てるんだろ。年期の差なんだろうか――つっても、セルクさんはカディより何百年単位で年下なんだけど。
「まあとりあえず食べてー」
勧められて俺は食前の祈りを捧げて食べ始める。
昨日と同じく焼きたてのパンに、サラダや目玉焼き。
「実においしそうに食べるよねえ」
そう言うセルクさんだっておいしそうに食べている。
「今日は、仕事は遅めに出るんですか?」
「昨日頑張ってきたからねー」
食事の合間に問いかけると、セルクさんはにひひと笑う。
とても楽しげに俺を見ると、彼は食事の手を休めた。
「善は急げってことで、手回しはしてきたよ」
「手回し?」
思わずかたまりのままパンを飲んでしまう。
「うん」
「――なんの?」
慎重に問いかけると、セルクさんはますます楽しそうな顔になった。
「もちろん、ソートちゃんの噂を王宮でばらまいてみたー」
呆れてものが言えないっていうのは、こういうときに使うんだと思う。
『どんな噂を流すって言うんですか』
代わりにカディが問いかけてくれた。ろくでもない予感がして聞きたくはなかったけど、俺もそうだそうだとかくかくうなずく。
俺の噂って。つまり王宮でってことは例の弟のフリの話に関わるんじゃないか?
「長年精霊使いになるための修行の旅に出ていたホネスト家の次男がなんと帰ってきました、と!」
「昨日言ったこととやってることが違うんですけど!」
「えー」
いやえーじゃなく。
不満そうにセルクさんは漏らすけど、不満なのはこっちの方だ。じっとりとセルクさんを見ると、一瞬で真顔になる。
「大丈夫。レイドルにはちゃーんと君になんと言って条件を飲ませたか、言ってあるから」
「弟かもしれない俺が幸せそうなのを見てどうこうって言ったじゃないですか」
「そうなんだけどね」
セルクさんは、悪いとは思ってるのか俺から視線を逸らした。
「でも姫様は君のこと気に入ったようだし、君の事情を聞いちゃったら本当にレイドルの弟なんだと信じてるんだよね」
「俺が捨て子とか、言ったから?」
セルクさんはうなずく。
『また、短絡的な――貴方がその姫様とやらに妙なことでも吹き込んだんじゃないですか?』
カディが冷たくつぶやいた。
『貴方の真意が私には読めません。一体何がしたいんです?』
「難しいこと聞くねえ」
セルクさんは苦笑した。
「姫様とレイドルに幸せになって欲しい、ってのが一番かな」
つぶやく声は真面目な響き。
『その為にソートのことをいいように扱う権利は貴方にはないと思いますが』
応じるカディの声には棘が混じってる。
「もちろんそうだよ。ちょっとの間だけ、茶番に付き合って欲しいんだ。あとで面倒がないようには必ずする」
『貴方のことが信用できるとでも?』
「ありゃ、嫌われたもんだねー」
『ふざけないでください』
カディは言ったけど、セルクさんの顔は別にふざけてはいなかった。
カディが気を悪くしたのはこれまでのことがあるから、今真顔でも関係ないんだろうけど。
『オーガスは貴方を信用しているようですけど、私はその意味が分かりません』
「師匠とセルクさんはなーんとなく似てるし、類は友を呼んでるんじゃないか?」
セルクさんは俺の言葉を聞いて吹きだした。
「それ、君の師匠が聞いたら気を悪くするんじゃないかな」
「オーガスさんはセルクさんの方がろくでもないって言ってましたけど」
わざわざ師匠のことを気にするくらいに、自分でも自覚してるんだろうか。
俺の言葉にセルクさんは肩を震わせて笑う。
『貴方の師匠もどういう人なんですか……』
「どうって、真面目なセルクさんとそうじゃないセルクさんを足して二で割ったら近いかも」
呆れたようなカディに俺はそう言ってみせる。笑いすぎで目尻に浮かんだ涙をセルクさんは手でぬぐった。
「うはははは、それわけわかんなーい」
カディがセルクさんをにらみつける。セルクさんは笑いをこらえて、深呼吸をした。
「ねえ、じゃあ、どうしたら信用してもらえるのかな」
笑いの残滓が言葉の端に残っている。真剣な顔をしても、だからその真意は読めなかった。
短いつきあいの中でそんなものが分かるわけはないけど、それにしたってセルクさんはわかりにくい人だ。
『貴方の言動は信用に値しないと私は思います』
「うわあ、全否定!」
セルクさんは不機嫌なカディの態度なんて気にしないでどこか楽しそうに声を上げる。
そういう辺りがカディの気に入らないところなんじゃないかと思う。
彼の内心を反映したのか、窓を開けてもないのに食堂を軽く風が吹いた。
「――でもねえ、長年複雑な立場で生きてるとそうならざるを得なかったんだよね」
風は少しずつその力を増していく。
カディは風の精霊主で、彼がいらだっている原因は自分にあるってセルクさんは理解しきってるだろうに、勢力を増す風なんて気にしない様子でぽつんと漏らす。
「俺は元々真面目だったのよー? うあ、そんな顔しないでよ風主様。ホントなんだから」
カディの力が増す。
レタスの葉が飛びそうになって、俺は慌てて風の精霊に防御を依頼した。
食卓を守るように、なんとか精霊がカディの力を防いでくれる。ちょっと嫌そうだったのは上司であるカディの怒りが怖いだからだろうか。
でも仕方ないじゃないか、食べ物は粗末にしちゃいけないんだぞ。
「いったん真面目なのを止めたら、癖になっちゃってね。でも俺はそれでいいと思ってる」
風で揺れる髪を押さえて、真剣にカディを見てセルクさんは言う。
「俺の態度が信用できないって言うなら、俺は俺が信じる神に、俺が君たちを裏切ることしたら見捨ててくれていいですって誓うよ」
その言葉に心動かされたのか風がぴたりと止んだ。安心したように俺が願った風の精霊が食卓から離れた。
カディが嘆息する。
『貴方はどなたの信者ですか』
幾分か落ち着いた声でカディが尋ねると、セルクさんはにっこりした。
「時空神様」
迷いなくきっぱりとセルクさんが告げた。
過去を見据え未来を見渡す、時を統べる神の名前。
『貴方が何かしでかしたら、かの方に直訴しますよ?』
「それは大変に俺の心臓に悪いので止めていただきたいです、カディ様。あの方に見捨てられたら俺もう生きていけなーい」
神に近しい存在なだけに、カディの言葉はとても怖い。セルクさんは冗談めかして言ったけど目は笑ってなかった。
『貴方に様なんて呼ばれると居心地が悪いです』
いじめすぎたと我に返ったのか、カディはごまかすように言う。
「信用してくれた? カディちゃーん」
『一応は』
「それはよかった。安心して、ソートちゃんに不利になることはしないから」
にっこりとセルクさんは笑った。でも、その笑みに裏があったことはすぐにわかった。
2005.09.30 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
感想がありましたらご利用下さい。