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第三話 変な人と城上祭

2.秋の道とベンチ

 二宮に別れを告げて、優美は教室から出た。
 パンフレット用原稿の要項を見直しながら、外に出る。
 十月の日差しは夏に比べて大分柔らかさを得ている。過ごしやすい秋が優美は好きだ。これから寒くなってくることを考えると嫌になってくるけれど。
「どうしたもんかしら」
 建物を一歩出ると、強くはないものの風がある。未だ手に持ったままのコピー用紙を優美は慌ててカバンに詰め込んだ。
 ゆらりと歩き始める。
 普段ならこのまま帰るところだけど、今日はそんな気分になれなかった。
 気にかかることがある時、とにかく優美は歩くことにしている。どこかで考え込むよりも、歩いているときの方がいろいろ思いめぐらせることができるのだ。
 入学したときはあまりの広さに驚いたものだけど、何度も歩けば慣れてくる。普段使うエリアなら完璧に覚えているし、そうでない場所も余裕で歩けるようになった。
 現在地案内の看板があれば多少迷っても大丈夫くらいの心意気で歩いていれば、そう迷うものでもない。
 広大な敷地のあちこちに適度に緑が配置されている。城上大学は郊外の多少離れた位置に二つのキャンパスを持っている。優美の通う南キャンパスの方がやや広いだろうか。
 徒歩で二十分ほどの距離にあるらしい北キャンパスへ優美は行ったことがない。大学祭の期間に一度ふらふらしに行くのもいいなと思う。同じ大学だとはいえ、利用していない場所に入り込むのは勇気がいる。
 もうすぐ色鮮やかに染まるだろう木々を眺めながら優美はゆっくりと歩き続ける。古いと言うよりは歴史があるといった風情の建物、計算されて配置されたであろう木々。
 両手を上げて親指と人差し指で四角い枠を形作ると、絵はがきにでもできそうな光景。たまに横切る人がいるのが無粋だが、それは仕方ないだろう。
 パンフレット用の原稿、広告――か。
 もちろん実際広告だと思ってみる人間はいない、ただの展示物の案内。一体どれだけの部数出回るかわからないけれど、外部の人間も多数やってくる大学祭のパンフレットだ。すぐなくなるくらいの少部数なんてあり得ない。
「あんまりにも大舞台よねぇ」
 ぶつぶつ呟きながらどうしようかと考える。
 心に占める割合は、不安が六割喜びが三割。残りの一割はちょっとの不満。
 その不満は申し訳ないけれど二宮に向かう。本人はそんなつもりはなくても、彼が言うように優美にだってプライドがある。
 芸術学部の人間だから君に任せる、なんて言い方は気にくわない。二宮は優美がどんなものを作り上げるかも知らない。
「あーあ」
 そんなこと、思っても仕方ないんだけど――。
 それでも考えてしまう。二宮はできたての組織をまとめることに必死で、そこまで考えが回らなかったんだろう。そうでなければある意味失礼な発言はしないはずだ。そのくらい、二宮のことは信頼できると思う。
「いちいち、気にしたってどうしようもないわよねえ」
 そういうことは社会に出たら数限りなくあるのだ――昔からずっと常勤で働き続けている母がたまにもらす愚痴を考えたら、ここで少しくらい慣れておくべきだ。
 時折人の姿が見えるとはいえ、人通りの多くない場所のこと。優美はぶつぶつ呟くのをためらわなかった。
「白黒、はがきサイズかあ。どんなのがインパクトがあるか――」
「んん?」
 と、くぐもった声が聞こえて慌てて口をつぐむ。
 はっと声のした方を向くと、ベンチの上に黒い物体。それは本当に黒い固まりのようだった。足下から頭まで、もうとにかく黒。あまりの黒さに全く意識していなかったそれ。
 その物体の、ベンチの木の色と同化していたらしい手がにゅっと伸びて頭からひっかぶっていた黒いシャツを掴む。
 既視感が優美を襲う。
 黒い長袖のシャツをその手は取り去って、中から出てきたのは見知った顔。
 そいつの名前を優美は知っている。強烈なインパクトを優美に刻み続けた男の名は小中武正。
「やあ、優美ちゃんお久しぶりー」
 シャツを上から被っていて、その影響でか眼鏡が水蒸気に曇っている。その眼鏡をちょっとずらして優美を確認した武正はにっこり笑顔でシャツごと手を振った。
「はあ」
 対する優美はちょっと身構えてしまう。
 おそらくは、ベンチで寝ていたのだろう。それを起こしたのはきっと自分だ、それはわかる。
 優美はぶつぶつ呟かねば武正は気付かなかっただろうし、自業自得であることもわかる。
 だけど、この広い構内で顔見知り程度の相手に何度も会ってしまうのは何かの陰謀ではないかと優美は勘ぐった。
 笑顔の武正は久々に会った友人にでも対するように明るく優美を手招いている。
 そのまま立ち去ることもできないわけじゃないけど、なんて優美は自分に言い訳しながら武正に近付いた。
 絶対にお付き合いしたくないという人種でも彼はない。
「二度あることは三度あるってほんとだね」
「会うのは四度目だけどね」
 武正は人懐こい。ただ、それがどこまで本心なのか見えがたい。
 軽い一言に嘆息混じりに応じると、彼はちょっと目を見開いた。
 縁なしフレームにはまるレンズはすでに透明感を取り戻していて、その様子がよく見えた。
「構内で会うのは、三度目。まさか、地元で会うとは思わなかったねぇ」
 それが面白かったとでも言うように武正は笑みをもらす。
「確かにね」
 偶然も何度も続くと、そこに何か意図的なものがあるのではないかと思ってしまう。
 気のせいだろうけど。
 春に優美が彼のお腹を踏みつけてしまったのも。
 夏にベンチ前で声をかけられたのも。
 地元で妹と買い物中にばったり出会ってしまったのも、信じられないけれど偶然。
 今だってもし優美が独り言を言っていなければそのまますれ違っていただけだ。黒いシャツを被っていて武正は優美の顔なんて見ていなかっただろうし、優美だって全くベンチの黒い物体なんて意識していなかった。
 声が聞こえなければ誰か座っていると意識さえしなかっただろう。それだけ、考え事に夢中だったのだ。
「君はどこ? 俺は鷹城校なんだけど」
 まさか高校は一緒じゃないよね、なんて武正は言う。
「私は聖華よ」
「おー。学外受験したんだ」
 地元では有名なエスカレーター校だ。優美がうなずくと武正は感心したようだった。
 同じじゃないと思ってたんだと武正は呟いて、
「聖華大も魅力的なところだと思うけど、城上で何かしたいことがあった?」
 不思議そうに続けた。
「聖華は芸術学部がないの」
「てことは、優美ちゃん芸学?」
「そうよ」
「あー、そうなんだ」
 気が抜けたような声を武正は出した。
「おかしい?」
「経学と思ってた。最初会ったのは経学の建物の近くだったし」
「散歩が好きなの」
「仲間だね」
 打てば響くように武正の言葉が返って、優美はまじまじと座ったままの彼を見下ろした。
「ん、何?」
「貴方が好きなのは散歩じゃなくて、どこかで居眠りすることなんじゃないかと思って」
「手厳しいなあ」
 武正は苦笑した。座らない? って首を傾げながら軽くベンチを叩く。
 何でそう微妙に人懐こいんだかと呆れながら優美はそこに腰を下ろした。
「芸学じゃ、なかなか会えないのも当たり前だね」
「――はあ?」
 そしてその瞬間に武正のささやき声が耳に入って、ずざっと離れてしまう。一人半ぐらい座れる距離を取って優美がうさんくさそうに武正を見ると、彼はしまったと言わんばかりの顔をしていた。
「どういう意味よ?」
「や、ほら。二度も構内で偶然出会ったから、また同じ事ないかなあって、ちょっとは思わない?」
 とがった声を出す優美にそう武正は応じる。
「学内に何人の学生がいると思ってるの?」
「ほんとにね」
 呆れかえった優美の言葉に武正は同調した。
「たまにそう思うくらいだし、実際もう会えないんじゃないかなーとは思ってたけど」
 そう言って武正は一つ大きく息を吐いて、次いで笑った。
「でも、こうやって会えるなんて奇跡みたいだね」
 優美は言葉を失って、けろっとした顔で言ってのける武正を見た。
「よ……」
「よ?」
 武正の顔には全く変化が見えない。
「よくもまあ、そんなくっさいこと素で言えるわねえ」
「そう?」
 優美の言葉にむしろ不思議そうに武正は首を傾げる。
 他意はなく、言ってみただけなのだろう。最初に出会ったときからこの男はさらっととんでもないことを言ってのける。
 優美は一人で気恥ずかしく思うのがばからしくなった。きょとんとしている武正から視線をそらす。
 向かい合うようにベンチがあって、その先には銀杏の木。
 もう少し先になれば黄色い葉が見事に散っていくだろう。
「夏の時は、勝手に案内したのに先に帰って、悪かったね」
「かまわないわよ、迷うほどの道でもなし」
「そうだけど」
 しばらく落ちた沈黙に耐えかねたのか武正が話を変える。
「妹さんにも悪かったって伝えておいてもらえる?」
「覚えてたらね」
 可愛くない答え方をしたのは、それだけのために実家に連絡を取るのがばからしかったからだ。
 中学生の妹は携帯を持っていないし、父か母にそれだけでメールをするのもはばかられる。
 愛想のなさが悪かったのか、また静かになった。
「ところで、インパクトって何の話?」
「はい?」
 いきなりの言葉に優美は心の底から不思議そうな声を出した。
 武正の顔を見ると、彼はその反応に驚いた様子。
「さっき、そんなことが聞こえた気がしたけど」
 半分寝てたし聞き違えたかなあ、武正は考え込むようにあごに手を当てた。
「半分寝てたときに、よく何度か会っただけの私の声を聞き分けたものだわ」
「俺、耳聡いの」
 あごに手を当てたまま、武正が自慢げに笑う。
「ああ、そうなの」
 気のない素振りで優美はうなずく。
「そういえばそんなこと、言ってたかもね」
 考えながら歩いていたと言っても、それは頭の中であやふやに浮かんでいるだけ。武正に遭遇したことで半分ほど思考内容が吹っ飛んだ。
 それでも記憶をたどると確かにそんなことを言った気がして優美が呟くと、武正はぱっと顔を上げた。
「自分の言ったこと、忘れてた?」
「独り言になんて、ほとんど意味はないわよ」
 それは頭の中からはみ出した思考のかけらだ。
「そっか」
「大学祭パンフレットのサークルの宣伝原稿をどうするかって考えてただけ」
「へえ、そりゃ責任重大だ」
 本当にそう思っているか怪しい武正の口ぶり。
「簡単に任せてくれちゃっても困るわ。代表は悪い人じゃないけど、私が芸学だからって私の作品を見もせずにそれを決めたのよ」
 武正は目をぱちくりとさせた。
「ごめん、ちょっと八つ当たり」
「いいけど」
 数度会ったことがあるし多少話しやすく、そして普段は接点がないので思わず愚痴を言ってしまった。すぐに気付いて優美が謝ると武正は慌てたように首を振る。
「それは、失礼な話だなー」
「忙しいからそこまで考えが回らなかったんだとは思うわ」
「いや、だからって失礼な話でしょ。その代表さんは何かを作る人じゃないに違いない。だからわからないのかもしれないけど、失礼な話だよ」
 学部だけでひとくくりにして、それで頼むなんてのはねって武正は続けた。
 優美は意外な言葉を聞いた気がした。
「貴方も芸学?」
 似たような経験があるのだろうか――優美がそう思いながら問いかけると、武正は首を横に振った。
「文学」
「何かを書く人なんだ」
 文学部だからって、自分で何かを書くという人間がそんなにいるとは思えない。だけど先ほどの口ぶりから優美は推察した。
「正解」
 武正は冗談めかして両手で大きな丸を作る。
「だから妙にくさいこと言ったりするのね」
「自覚はないんだけど、それ。たまに友人にも言われる。あとお前の言うことはよくわからないとか」
「変わってる、とかも言われない?」
「――今年に入ってからは君にしか言われてない」
 人懐こい性格のようだけど、人との間に壁を作っているようなところがあるのは夏の一件で知っている。
 だから面と向かってそんなことを言うのは優美くらいなのかもしれない。
「麦わらもどうかと思ったけど、さっきのがよっぽどひどいわ。黒い変な固まりに見えたもの」
「俺、周りが暗くないと眠れなくて」
「家に帰ってカーテンきっちり閉めればいいでしょ」
「あと秋の気配を感じ取りたくて」
「春も、同じようなこと言ってたわね」
 そういえばあの時は、こちらがお腹を踏んづけていたのもあって敬語だったんだった。夏に再会したときから思わず普通に応対しているけど。
 桜を見に来たという割に昼寝をしていた武正は桜の気配を感じ取りに来たなんて言い訳みたいに口にしたのだ。
 よくわからない変な人だって印象がそこで確定して。
「覚えてるの?」
「むしろ、忘れる方が難しいと思うけど」
 そう言うと何故か武正は笑みを深める。
「だとしたらうれしいね」
「うれしいの?」
「普通に会って、普通に話しただけだったら優美ちゃん俺のこと忘れてたんじゃない? 俺だったら忘れてた」
 痛いことを言われた気がしたのは、自分と同じくらい武正が自分のことを覚えていた事実が普通じゃないと気付いたからだった。
 そりゃ、初対面で腹を踏んづけられたら忘れようにも忘れられないに違いない。
「あの時は悪かったわ。昼寝の邪魔をして、シャツまで汚して」
「シャツ?」
「靴の跡をつけたわ」
「そんなの、洗えばすぐ落ちたし」
 自分が変な人だと思ったように、武正の方も自分を変な女だと思ったに違いない。今更そんなことに思い至った自分に優美は嫌気がさした。
 居心地悪く身じろぎしてしまう優美に武正は柔らかな視線を向ける。
「普通じゃないってことは、そう悪い事じゃないって俺は思うよ――というか、そう思いたいだけだけど」
 優美が何を思ったか、わかったような口ぶりでそんなことを言う。
「むしろ俺には普通の定義ってものがわからない。世の中の全部を足して、その平均を求めたものが普通なら世界中の人間が普通じゃないことになるよ」
 すらすらと、まるで決められた台詞のように。
 流れるように話し始めた武正の顔は何故か自嘲気味だった。
「それとも。もしかしたら普通なんて規則が世の中にあるのかもしれない。世界中の人はその規則を守ろうとしているのかも。でも、そんな規則に縛られてちゃ、面白くないでしょ?」
 同意を求めるように武正は優美を見た。
「そんな、ものかしら?」
 ゆるりと武正がうなずく。
「そう思いたいね。じゃなきゃ、やってらんないでしょ」
 何がやってられないのか優美にはわからなかった。
 ただ、これまでの少しのつきあいで見せたことのない顔だったから、何かあるんじゃないかと推測するだけ。
「そうかもね」
 少し目を伏せて、遠くを見るように顔を上げた武正はどこか悲しげで。
 過去何かあったんだろうと、勝手に結論づける。
 親しくしていても友達じゃないとか、そういうことを簡単に言ってしまうヤツなのだ。きっとそういうだけの何かがあったのだろう。先ほどの言葉では友人はちゃんといるようだし、その中身を聞き込もうと思うほど優美は下世話でないつもりだ。
 だから軽く同意してみせた。

2005.11.25 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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