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第三話 変な人と城上祭

5.夜の世界に憂いを置いて

 胸の内を残らず吐き出せば、すっきりするんだろうか。
 そんなことを思いながら優美は机に向かった。
 きっと二宮には人を見る目があるのだろう。妙に引っ込み思案で、素直でなくて、負けず嫌いの優美の性格もきっと一目見ただけで悟ってしまったに違いない。
 ――被害妄想だろうけど。
 優美は自分に突っ込んだ。いろんな事に捕らわれすぎて、本当に素直になれなくて、自信も全くなくて。
 それでも負けず嫌いだから、やらなきゃならないと思う。
 目の前の真っ白なケント紙に向かって優美はため息を漏らした。
 人を見る目が仮にないとしても、人をうまく扱う才能が二宮には無意識に備わっているに違いない。
 最初っから素直に「君の絵を見たことがあるから大丈夫」なんて言われてたらとんでもないとばかりに優美はこんな仕事断ったに決まってる。
 芸学の人間が一人しかいないと退路を断って、他のメンバーに一言も文句を言わせないで、微妙にプレッシャーをかけて、負けん気を刺激して。
 それが全て計算なら見かけとは裏腹に二宮はとんだ狸だろうし、無意識なら化け物だ。
 集中できなくて、持ち帰ったラフ画をカバンから引っ張り出す。出さなくてもイメージは頭の中にこびりついているんだけど。
 イメージしたのは地元の市民ホール、その正面入り口に立った視線。まっすぐ前を見たそこに一枚の絵。そこには老若男女様々な人がやってくる場所で、彼らはそこを通る瞬間に思わず絵を見ずにはいられない。
 全ての人に好かれる、なんて絵空事だ。誰にも好みがあって、全てに認められる事なんて実際は不可能。
 優美の描くそれも夢の出来事でしかない。いつかこうなりたいな、という夢。
 どれだけのことができるかなんてわからない、でもその一歩がきっとこれから描くパンフレットの原稿になるはず――たぶん、そのはず。
「あー、どっちに向いて考えても、行き詰まるわ」
 嘆息混じりに優美はささやいた。ラフ画もエンピツも机の上に放り出す。
 真剣に紙に向かうと妙なプレッシャーを覚えて、その原因に思いをはせたら何故か鬱々として描く気がしない。
 伸びをして気を散らそうとしても無駄だった。
 頭半分ベッドに預けてごろごろする真似をしてもいったんこびりついた考えが頭を離れそうにない。
「あー、こんなの私らしくないわ」
 うめいて、机に向かうのは諦めて立ち上がる。
「なんか飲むか」
 部屋の中にいても息が詰まる。財布を手に持つと優美は扉を押し開けて、廊下に出た。
 階段を下りて、玄関で靴を履く。
 気を紛らわせがてらコンビニで何か買おう。
 門限にはまだ早いのだから、気分転換に散歩もいい。
 そう思って飛び出した外はすっかり夜の世界。ついこの間まで日が長いと思っていたのに最近すっかり日が落ちるのが早くなった。
 八時ともなれは夏でも冬でも暗さはそう変わらない気がするけど、キンと冷え始める空気や澄み渡る夜空が多分、夏と冬とでは違う。
 その間の秋の今、それはどちらかといえば冬寄りで。
 もう少ししたらこんなに気軽に出歩くことができなくなるんだろうなとちらりと思う。寒いと何かと身動きが取りにくい。
 まだ白くない息を弾ませながら五分ほどで早くもコンビニの明かりが見え始める。夜だというのにまばゆい光に優美は虫のように吸い寄せられる。
 扉を引いて中に入り込むとそこはまるで昼のよう。用事もないのにぐるりと一周して、目的の飲み物とついでのヨーグルトを手にレジに向かい精算する。
 そうして再び夜の世界に舞い戻って、白いレジ袋を揺らしながら寮に戻る。
 部屋の中より冷えた空気に心のもやもやが大分飛んだ。
「たまには何も考えず歩くっていうのもいいかもね」
 それでも残り香のように気持ちは晴れきらなくて、優美は靴をしまい込むと自分の部屋でなく居間に向かった。
 寮の一階の居間は食堂も兼ねていて、憩いのスペースになっている。とはいえ、皆好き勝手に行動しているからいつも誰かいるとは限らないわけだけど。
 だから誰かいることを期待したわけではない。
「あれー、珍しいね」
 でもそっと木製の扉を押すと、それに気付いて振り返った一人が意外そうな顔をした。
「たまにはね」
 優美は応じて、中に入り込んだ。
 数人が机に教材を投げ出して、課題に取り組んでいるらしい。
 邪魔にならないように端っこで優美はヨーグルトとペットボトルを取り出した。
 ざわざわと騒がしいのは課題をしながらテレビまで見ているかららしい。明るい配色のテレビ画面に優美は呆れてしまった。
 見ながら勉強するよりも部屋で集中した方がよほど早く終わりそうだと優美は思うんだけど。
 ノートに向かったり、テレビを見て笑ったり集中することなく作業している。
 その辺の感覚が人と違うのかもしれない自分にうんざりしかけて、優美は慌てて頭を振った。気を紛らわせるために来たのに、余計うんざりしてどうすると自分に言い聞かせながらヨーグルトのふたを思い切って取り払う。
 プラスチックのスプーンを取り出しながら、何をみんなそんなに夢中になっているんだと遠目にテレビを見る。
「聞こえる?」
 優美の様子に気付いた一人が言いながら音量を上げてくれた。
「ありがと」
 そう答えたもののそこまで興味があるわけじゃない。何となく見ながら聞きながらヨーグルトを口に運び、食べ終わったら部屋に帰ろうと優美は思う。
 テンポよくリズミカルな会話。お笑い番組らしく、くすくすと笑う声が絶えない。
 それを笑えるための何かが自分には足りないのだと優美は思った。同じ番組を見て、同じように笑っている寮生達の間に同じ感覚で紛れ込めない。
 そう、わかってる。全てに好かれるなんてあり得ない――優美にだって好き嫌いがあるのだから。
 同じように笑えない自分が普通じゃないように思えて落ち込みかけて思い直す。
 それは普通であることに縛られたら面白くないと言い放った武正のことをふと思い出したからだ。
 ゆっくりと思い返して、もっともじゃないかと思う。
 同じように笑うために興味のないものを無理矢理見る必要はないじゃない?
 ぱっと目の前の霧が晴れた気分。優美は最後の一口を食べてしまうと晴れ晴れとした思いで立ち上がった。
 変なことに気を回すのはやめて、やらなきゃいけないことをやろう。
「じゃあね」
 結局飲まなかったペットボトルと空になったヨーグルトのカップを持って身を翻したその時だ。
 笑い声がぴたりと止んで、しんと静かになった。
『ねぇ……』
 静寂を突き破る柔らかな男声。
 不審に思って振り返った先は、先ほどまでのカラフルさと無縁な真っ白な画面。
 今まで騒いでいたのが嘘のように全員が固唾をのんで画面を見るのを優美は視界の中に捕らえた。
『普通じゃないことを何でそう取り沙汰すの?』
 静かな歌声がテレビから響いてくる。どこかの学校の日常を切り取ったかのようなカラー写真が、バラバラと画面に現れて、白さを塗りつぶしていく。
『あふれかえる人たち全て同じじゃないといけないの?』
 アカペラ。もちろんテレビで歌うくらいだから歌はうまいのだろうと優美は頭の半分で思いながら、画面と声に耳を澄ませた。
 そんな優美をあざ笑うかのように歌声はゆるゆるとボリュームを落としていく。
『自分と違うからと、誰かを傷つけていませんか?』
 わずかに聞こえるだけになった歌の代わりに同じ声が画面の中から呼びかける。それとともに埋め尽くされた写真から色が少しずつ取り除かれていく。
『自分じゃないからとそれを見逃していませんか?』
 真面目ぶったその声。優美は驚きで動きを止めた。
『それをなくそうとは思いませんか?』
 強制はせず呼びかけるだけの声が終わった後、白さを取り戻した画面の中央にいじめ追放キャンペーンの文字が浮かび上がる。
 その後何事もなかったかのようにチョコレートのCMが始まって、誰ともなく息を吐いたのを優美は感じた。
「やっぱいい声してるね、コナカ」
 その声に視線をテレビからもぎ放す。
 ――コナカ?
 その名前は優美の頭に昨日からばっちり刻み込まれている。馬鹿みたいに優美は内心繰り返した。
 コナカタケノジョー。三年ほど前にデビューしたシンガーソングライター。甘く切ない声で若者の悩みなどを歌い上げ、そのくせしゃべりだしたら脳天気に明るい今をときめくトップアーティスト。
 相原がそれはもう熱く熱く語り続けたから、それくらいの知識は得てしまっている。
 他ならぬ相原の声でその情報が頭を流れていき、でも最後に残ったのはそんな付け刃の情報じゃなくて。
 そうではなくて、優美は間違いなくあの声を知っている。ごく最近、普通じゃないことについて語ったその声の主を。
「……なんで?」
 かすれた声で呟いたのまでははっきりと覚えている。

2005.12.04 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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