IndexNovel変な人シリーズ

第三話 変な人と城上祭

9.悩みを切り出して

「あーっ、何で今日は早いのよ二宮ぁ!」
 不意に教場に大きく響いたのは相原の声だった。道中出会ったのか戸田と並び立っている。
 あまりの大きな声に驚いて優美は思考の海から浮上した。
 大声に隣の戸田が顔をしかめて身を引いているので優美は思わず笑った。相原はとにかく元気な人だ。
「早く来たら悪いのかよ」
 不機嫌な二宮の声に同じくらいの勢いで相原は顔をしかめる。
「悪くはないけど悪いわよ」
「どっちだよ」
「どっちでもいいでしょー?」
 そういう相原には逆ギレしている自覚はないらしい。肩を怒らせながら当然のように優美の前までやってきて笑顔を型作る。
「ねえ、優美ちー」
 その表情には怒りの残り香があからさまに見える。
「はあ、なんでしょうか」
 猫なで声の原因は何となくわかるような気がしたので優美は少し身を引いた。とはいえ頑張っても数センチ離れられるかどうかといったところだけど。
「今日はねえ」
「相原、いい加減にしとけ」
「うっさーい」
 べーっと二宮に舌を出した相原はカバンから何かを取り出す。
「じゃじゃーん」
 二宮のお手上げの動作を視界の端の方で捕らえた瞬間に、優美の目にまっすぐ飛び込んできたのはCDのジャケットだった。
「コナカのニューシングルでーす」
 可愛らしく相原はそれを突き出す。満面の笑みにはもはや怒りのかけらもない。
 セピア色の教室、その奥の机に腰掛ける男が一人。顔はよく見えないけれど、武正の面影を優美は感じ取った。
 同一人物だというのだから当たり前だろうけど。
 CDショップらしい名前の印刷された透明なカバーにジャケットの帯まで綺麗に入れてある。「いじめ追放キャンペーンソング」の文字。
「満を持しての発売よー。初回限定版特典は来年のカレンダー。ねえ、優美ちー、聞いちゃう?」
「相原、お前いい加減にしとけよ」
 にっこり笑顔でケースを振る相原の手から二宮がCDを奪い取った。
 不機嫌そのものの二宮の顔をキッと相原は睨み上げる。
「二宮こそいい加減にしてよ」
「お前に言われたくない」
 二宮はそこまで背が高いわけではないが、奪ったCDを頭上に掲げてしまえば小柄な相原からは手が届かない。
「もーっ、なにすんのよ二宮ー!」
 二宮がすっと離れていったのは相原の毒牙から優美を守るためだろうか? CDを追って相原が二宮を追いかける。軽い身のこなしで二宮は相原を避けていた。
「犬も食わないな」
 相原に注目している間にいつの間にか近くにやってきた戸田は相原に反比例して物静かだ。
 しれっと聞こえた言葉に優美は驚いて振り返る。戸田は呆れた様子で二宮達を見ていた。
「それって、今口を挟んだら馬に蹴られちゃんですか?」
 おそるおそる優美が問いかけると、ためらいなくあっさり戸田はうなずく。
「本人達は否定するだろうけどな」
「はあ、そうなんですか」
 否定するということは戸田が勝手に思っているだけじゃないんだろうか。二宮が合コンに行ったとかいう話を聞いたこともある。
 優美は勘ぐったけれど、言われて見てみれば痴話喧嘩のようないさかいに見えなくもない。
 ただし、恋愛経験なんぞ全くない優美が見てもその争いっぷりは幼稚に見えるけれど。
 本当にあれはそうなんだろうか? 優美は疑わしく思う。優美よりも彼らをよく知る戸田の言うことだからそこまで的はずれではないと感じはするけれど。
 そうこうしている間に少しずつメンバーが集まってきて、二人はさすがに戻ってきた。
 最終的に相原が勝利を収めたようでCDを大事に抱えている。彼女はやっぱり当然といわんばかりの顔で優美の隣に座った。
 余計なことは何一つ言わないでCDケースを開けて、中から歌詞カードを取り出す。それを机の上を滑らせるように優美に渡す。
 どういう意味だと優美が顔を上げると、相原から少し離れた位置で二宮が何かぶつぶつ一人ぼやいていた。
 つんつんと相原につつかれて彼女に目を戻すと机を見ろという無言のアピール。
 いつの間にか彼女が出したのだろうノートの切れっ端に、可愛らしい丸文字で「いい歌詞だからっっ!!!」と強調して書いてある。
 しゃべるな、と言われたのだろうか。ちらりと確認した二宮は苦虫を噛み潰したように頭を振っている。そりゃ意味ないだろうともう少ししたら言い始めるかもしれない。
 相原の眼差しに負けて優美はCDケースを開いた。
 歌詞カードを取り出す。二つ折りの少し丈夫な紙。全体的にセピアでまとめられている。中に印刷された写真は先ほど見たよりも顔が大きい。斜めを見上げてどこかを見ている、そのコナカタケノジョーとやらは優美には武正によく似た別人に見えた。
 実物よりももうちょっと真面目でまともっぽく見えるその辺りが。
 歌詞カードに見知った人物の写真が印刷されているのはどこか不可思議な感覚だった。
「かっこいいでしょー?」
「そうですね」
 思わず優美はうなずいてしまう。実物よりも数段ステキに見えるのは、プロの写真家が撮影したからだろうか?
 見慣れた眼鏡をかけていないからかもしれないが。
「でしょー!」
「相原!」
 声を張り上げる相原を二宮が睨み付け、彼女はしゅんと落ち込む真似をした。でもめげずに先ほどの切れっ端を裏返して「歌詞もいいわよ」と走り書きした。
 優美は視線を写真から離した。
 写真はカードの左上にあって、中央の折り目から左下にかけて斜めにぼかしてある。右下のごく薄い茶色いベースの上に濃い茶色で歌詞が記されてあった。
 作詞作曲共にコナカタケノジョー。見知らぬ名前の編曲者。
 じっと優美がカードを見る。そんな優美を相原は見つめる。
「いいでしょ?」
 二宮の指摘を恐れたのか、ささやき声。
 歌詞カードと相原を交互に見て、優美は仕方なくこくりとうなずいた。忠告してくれた二宮には悪いけれど、嘘がつけなくて。
 実際の歌はほんのさわりしか聴かなかった。でも歌詞だけでもいいのじゃないかと思うから。少なくとも優美の心には響いた。
 悲しげな武正の顔が脳裏にぽっと浮かぶ。
 自らの悩みを切り出して形にした――そんな詩。優美でさえ共感を覚えてしまったのだから、同じような人間は多いのだろう。
「でしょー」
 二宮の睨みが効いているからか静かに相原はにんまりする。
 数度視線を走らせて、ゆっくりとカードを閉じる。元のようにケースにしまい込んで優美は相原にそれを返した。
「聴く?」
 言葉少なに相原がイヤホンを掲げる。ためらいつつ優美はその片方を受け取った。


  ねぇ…
  普通じゃないことを
  なんでそう取り沙汰すの?
  あふれかえる人たち
  すべて同じじゃなきゃいけないの?

  ねぇ、
  自分を枠につめこんで
  それでそんなに面白いの?
  全部おんなじじゃつまらない
  「変わってる」くらいがよくない?

  「普通」じゃないって思い悩むのって
  自分だけじゃないと思わない?
  だって世界中のすべての人が
  同じなんてありえない

  ねぇ、
  くだらないことに
  思い悩むのはやめよう
  異端を弾き飛ばすのもやめて
  ありのまんま受け入れよう?

  だってぼくらは同じ人間
  腕を組んで歩けるハズ


  ねぇ…
  個性を磨こうよ
  特別な自分になろう
  主張したらぶつかるのは当たり前
  傷つくことは恐れないで

  ねぇ、
  ちょっとしたいさかいで
  壊れる友情はにせものなんじゃない?
  そんなものにこだわるのはやめて
  本物を探そう?

  君の前には広い世界があって
  その中にはたくさんの人がいる
  小さな枠にこだわって
  可能性を見失わないで

  ねぇ、
  くだらないことに
  思い悩むのはやめよう
  異端を弾き飛ばすのもやめて
  ありのまんま受け入れよう?

  だってぼくらは同じ人間
  腕を組んで歩けるハズ


 聞こえるのは確かにちょっと前に会った武正の声に似ている。
 おとなしめな曲調に合わせて静かで真面目な声。
 何も知らずに聴いたら普通に好きになったかもしれないそんな、声。
 カップリングも聴くように言う相原に断りを入れてイヤホンを返す。耳に残る歌声を払おうと優美は頭を振った。とても後味が悪い。
 下手な前知識を得ているせいで、余計なことを考えそうになる。
 脳裏に浮かんだ武正の顔が離れない。
「それって、なんだか寂しいじゃない」
「は?」
 思わずもらした呟きは相原に言うべきものじゃない。
「あ、なんでもないです」
「そう?」
 いきなり呟いた優美を不審そうに見る相原のことを気にしている場合じゃない。優美は真剣な顔で考え込んだ。
 悩んでいることを形にした、まさにそんな曲――なのだろう。
 芸能人だからってなんで色目を使うの? だからって何かが違うワケじゃないんじゃないのって、言いたいのはきっとそんなこと。
 勘違いかもしれないし、気を回しすぎているのかもしれない。本人に正面から聞いても否定されるだけかもしれない。
 武正はしゃべるのが好きで、だけれどそれに飢えている。おそらく彼のことだから仕事先でもさんざんしゃべっているのだろうが――仕事とプライベートは違うと彼自身が言っていた。
 大学での生活がその正体故に人目を避けているものならば、友情にさえ彼は飢えている。そう考えて間違いはないだろう。
 優美とさえ楽しげに話したのがその証明。
 おそらくは忙しい中、時間をやりくりして。その上でわざわざ通っている大学での生活が、人目を避けるようなもので楽しいの?
 人目を避ける生活がいいものだとは優美にはとても思えない。
 よくない、わよね?
 自分自身に問いかけて、優美は自分に同意を返す。
 歌声が耳にこびりついて離れない。迷うくらいなら初めから聴かなければよかったと優美は後悔した。
 興味がないからと断っていれば、気に病むことはなかった。
 そうすれば、あまりに寂しすぎるその行動を、どうにかしようと思ってしまうこともなかったはずだから。



 思い悩み始めたものだから、会合の中身なんてほとんど記憶にない。
 おぼろげに明日からの会場変更を聞いたこと、グループに分かれて打ち合わせ中に集中しなさ過ぎてさすがの相原にも呆れられたことは頭に残っている。
 家に帰っても集中力が足りなくていけない。
「あーあ」
 最近、調子が狂ってばかりだと優美はため息を漏らして頭を振った。
 明日は原稿の締め切りで、今夜中に仕上げなければならない。だというのにはがき大の枠の中は真っ白。
 ケント紙をにらみつけていても何も進まない。
 優美はのろのろとカバンから携帯を取り出した。もらった名刺を軽くはじいて、中断していた登録を再開する。
 携帯と格闘すること十五分。何度も番号やメールアドレスを確認してようやく優美は登録ボタンを押した。
 うーんと伸びをしながらベッドに携帯を放り出し、しばらくして気を変えて再び手に取った。
 体を返して、ベッドにうつぶせるように画面をにらみつける。
 ためらいながらメールの作成画面を呼び出して、送信先に武正のアドレスを出す。
 ぽつぽつと打った件名は「井下です」。
 本文の画面で動きを止める。約束だから一度くらいはメールをすべきだ。
 とはいえ何と書いていいものかひどく迷う。
 とりあえずあいさつと自分の電話番号を打ち込んで、優美はそこで固まった。
 メールというものは、電話をかけることに比べればましだけど苦手だ。友人から送られる顔文字や絵文字がたくさん入ったメールは明るいと思うけれど、優美にはとても真似できない。
 使うタイミングがつかめないのだ。
 あるかどうかわからないそれらの意味を真面目に考えてしまうから、使い時を間違っていないか不安になる。数度不安を覚えた後、それなら何もしない方がましだと優美は決めつけた。
 だからどこからどう見ても優美のメールは色気も素っ気もない。
 用件だけではあんまりだと思うものの、下手に続けようとしたら余計なことを書いてしまいそうな気がする。優美は親の仇でも見るかのように携帯をにらみつけながら悩んだ。
「うーん……。最近寒いので風邪を引かないように気をつけて下さいね、くらいでいいかなあ」
 そこそこ愛想はあるが、事務的な気もする。とはいえ他に思いつきそうもなかったので優美はそのまま入力した。
 送信ボタンを押そうとした瞬間に、名字じゃ誰のことかわからないだろうと気付いて件名を変更。
「変な勧誘のメールみたいだわ」
 武正が驚くかも知れないなと少し笑ったあと、優美は思い切って送信ボタンを押した。
 送信完了画面を確認して優美は一息ついて携帯を放り出す。
 それだけでもう一仕事を終えたような心地。気が楽になった。
 妙なすがすがしさを感じながら原稿に向き直ると、これまでが嘘のように作業がはかどった。
 ラフ画を元に下書きをして、慎重に清書する。
 インクが乾くのを待ちがてらベッドに放り出した携帯を充電器に置いた。小さなランプが赤く点灯して、小さい液晶画面が明るくなる。
「あ」
 するとメールマークが左下にあることに気付く。
「返事が来たのかしら」
 充電器に置いたまま携帯をぱかりと開く。マナーモードのままにしていたからちっとも気付かなかった。
 受信は三十分ほど前。マナーモードにしていてよかったと優美は思う。途中で高らかに電子音が響いていたらせっかくの集中が乱れただろうから。
 先ほど登録した武正のアドレスからの返事。
 それは「おおおお!」という叫びのような件名。
「ほんとにゆみちゃんがメールくれるとは思わなかったー!! うわ、どうしよううれしいかも?! あー、えっとメールありがとー。俺は今大都会までやってきています。明日の授業は残念ながらさぼりますヨ? 今年も留年したらどうするんだと言ったら一日くらいどうってことないだろうと返ってきました。そういう問題じゃない気がするのって、俺だけ?」
 中身もやけに長い。うわとか、えっととかは不要じゃないかと感じるけどそれが彼らしいといえばらしい。
 それよりも問題なのは、最後の一言だ。
「これって」
 その一文をじっと見て優美は顔をしかめた。
「これは……返事をしなければいけないの?」
 口に出して呟いてみる。クエスチョンマークで終わるそれは疑問形ではないだろうか。
 はいやいいえで答えられない返答に困る問いかけに、果たして応じる必要があるのだろうか。
 液晶画面をじっとにらみつけながら優美は考える。
 そもそも同じくらいの長さのメールを返せるかどうかもわからない。テンションが遥かに低くなることも簡単に想像できる。
 だけど……。
「結局、そこなのよね」
 優美はあきらめの吐息を一つはいて、返信ボタンを押した。
 無視できないような気が何となくしてしまうわけで。
 新たな難問を提示された気分で、携帯を真剣ににらみつける。一番のポイントは真剣に考えれば考えるほど武正のノリと正反対の返答しか思いつかないところだ。
「……つくづくかわいげがないわよねぇ」
 試しにキーを押し続けた後で我に返った優美は全文を消した。
 文字にして目にしてしまうと、あまりの愛想のなさに自分が嫌になりそうだった。
 「メールが届いたのに驚くなんて、お義理で名刺を渡したの?」そんな書き出しなんて。
 実家の住所が印刷された代物なんて、冗談で渡すわけがないとわかってしまうだけに。
 いちいち気にして引っかかってしまうのは優美の悪いクセなのだろう。
「こういう時に顔文字とか使ってみるといいのかしら」
 きつい口調でもごまかしがきくかしらと考えて、顔文字一覧をにらみつけた後で諦める。使うタイミングがつかめない以上、考えるだけ無駄だった。
 よかれと思って付け加えた結果変な誤解をされても嫌だ。
 堂々巡りを繰り返しながら、何とか返信文を打ち終える。
「お疲れ様、移動も大変なのね。学生の本分は勉強だけど、仕事も大事だから頑張って下さい。単位を落としすぎない程度にね」
 何度も見返して、こんなものじゃないかと優美は思う。
「ちょっと嫌みっぽいかしら……」
 でもこれ以上の案は思い付けない。
 これからさらに削ったら武正のメールの返答にしては短くなりすぎる。長いものが来たら長めに返すのが礼儀ってものだろう――そう思うからには、この辺りで妥協すべきだろう。
 努力はしたから少し短いのには目をつぶって、優美は送信ボタンを押した。
「肩こるわ」
 携帯を放り出して優美は息を吐いた。
 妙な緊張からか肩に力が入っていけない。ぐりぐりと肩を回して、さらに首も回す。
 携帯はもう確認すまいと心に誓って作業に戻る。
 原稿を仕上げて、お風呂に入って。
 寝て起きたらメールが二件も入っていて、愕然とするのはまた別の話。

2006.01.20 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

<BACK> <INDEX> <NEXT>

感想がありましたらご利用下さい。

お名前:   ※ 簡易感想のみの送信も可能です。
簡易感想: おもしろい
まあまあ
いまいち
つまらない
よくわからない
好みだった
好みじゃない
件名:
コメント:
   ご送信ありがとうございますv

 IndexNovel変な人シリーズ
Copyright 2001-2009 空想家の世界. 弥月未知夜  All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.